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「問い続ける」ドラッカー〜20世紀産業社会が生んだ大いなる「社会生態学者」が読み継がれている理由

前回の書評エッセイで、『マーケティングをつくった人々』(東洋経済新報社)をご紹介しました。同書はフィリップ・コトラーを筆頭に、世界のマーケティングに多くの功績と貢献性のある人たちの原点を知ることができる著書で、それらマーケティング界のレジェンドにジャーナリストがインタビューして編んだとても貴重で興味深い読み物です。そこに登場するそれぞれの人たちが、マーケティングの発展に生涯を捧げてきたといっても過言ではありません。

そうしたレジェンドたちが、影響や恩恵をうけた人物として異口同音にピーター・ドラッカーの名を口にしています。

2009年刊の『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』が大ベストセラーとなり、初めてドラッカーを知った若い人たちを新たな読者として獲得しました。

ビジネスパーソンはもとよりそうではない人たち、老若男女と世代を問わずに彼の名を知らない人はいないはず。マネジメント論=ドラッカーを思い浮かべます。

「マネジメントの父」とも称され、マネジメントだけではなくイノベーション、マーケティングなどの経営課題において、多大な足跡を残したドラッカーの功績は計りしれません。

しかし、それではあまりにもったいないのです。彼はそうした分野だけには収まりきれないほど、その思想の射程は遠くまで届いているのです。

産業社会が生んだ偉大なる「社会生学者」

吹き出しとビジネスマン

ドラッカーに自分の分身とまで言われている翻訳家の上田惇生が、私と同様に遅れてきたドラッカー読者だという糸井重里との対談のなかで、『もしドラ』のおかげで新しく若い読者を得たことはとても喜ばしいのだが、その一方でドラッカー=マネジメント論だけの人という残念な面もあると語っています。

私が初めて社会人となった20代のころから、読んだことはなくてもドラッカーの名前は知ってはいましたし、ドラッカー=マネジメント論だけの人だと私も長らく思っていました。それが遅れてきた読者になったことで、そうではないことに今更ながら気づいたのです。

その深い教養と広い知識、将来を見通す眼力(すぐれた洞察力)には敬服します。しかも、その多くの著作は60歳を超えてから著されていることにも驚きました。

私は、ドラッカーは歴史の必然性が生んだあるいは求めた、偉大なる「社会学者」と判断しています。つまり、彼は「20世紀の産業社会=多様な組織にもとづく企業や組織というビジネス社会」が必要とした、まぎれもない社会学の継承者であるという見立てなのです。

ところで、哲学などの紀元前から存在している学問とは違い、社会学はマックス・ウェーバー、エミール・デュルケーム、ゲオルク・ジンメル、ヴィルフレッド・パレート、ヴェルナー・ゾンバルト、ソースティン・ヴェブレンなど、歴史に名を残す人たちはいずれも1850年前後の生まれです。

つまり社会学は、19世紀後半から20世紀初頭にかけ、市民社会の発展とともに誕生した新しい学問なのです。

20世紀後半の消費社会が産み出した重要な社会学の著書として、『消費社会の神話と構造』のジャン・ボードリヤール、『リキッド・モダニティ〜液状化する社会』のジグムント・バウマンなどを、私たちは知っています。

さて、ドラッカーは1909年生まれで、この10年後の1920年前後に先述の著名な社会学者たちはみな没しています。

大戦期間の国際政治の歴史として著名なE・H・カー著『危機の二十年』(1919〜1939年)の最初のころにほとんどの著名な社会学者は亡くなり、この期間に教育を受けたのがドラッカーです。

彼は、この『危機の二十年』の経験者で生き証人でもありました。しかもドラッカーは、『一般国家学』や『純粋法学』として著名なハンス・ケルゼンの義理の甥にあたり、シュンペーター、ケインズなどの経済学者、フロイトや経済人類学のカール・ポランニーなどとも親交があり、さらにはフランクフルト学派が隆盛を誇っていた時期に同地にいた人です。

ドラッカーは、20世紀初頭の欧州暗黒時代にあって、たぐいまれなほど恵まれた知的環境を結晶化した人なのです。

ドラッカーの生きた20世紀は、市民社会が産業社会へと大きく伸展する歴史的過程のなかで、そうした社会の勃興と発展・繁栄がもたらされた時代です。とくに第二次世界大戦後は、ありとあらゆる業種が産業化されて多種多様な企業や組織が誕生し、それにともない、さまざまな職能が必要とされて新しい職業と職種も生まれました。

ドラッカーは、自らを「社会生態学者」(彼の造語)と自認していましたが、彼は20世紀後半というあらゆるヒト・モノ・コトが事業化され産業化する時代背景のなかで、個人と組織に基づく社会はどのようなものかその生態を鋭く観察し、20世紀後半の人間社会のさまざまな領域への好奇心をもって、その透徹した洞察力により真摯に語りかけてきました。

ドラッカー思想の原点となった2つの出来事

分かれ道

ドラッカーのマネジメント思想を考える場合、原点となったことは二つあると個人的には考えています。

一つは、彼の生まれ育った時代背景です。2つの大戦期間にはさまれ、全体主義が欧州を覆い尽くす一方で、1917年のロシア革命で誕生した歴史上初の社会主義国家の誕生があります。

ドラッカー初の著書は29歳のときに著した『「経済人」の終わり』(原著1939年)で、全体主義がどのように台頭してきたのかの研究に関するものです。この著書は、民主主義とロシアに社会主義国の両方に失望したとき、ヒットラーがその間隙をぬうようにして全体主義がはびこったとするものです。

もう一つは、アメリカに渡った1946年に刊行された『企業とは何か〜その社会的な使命』(原題:Concept of The  Corporation/企業の概念)です。第2作目の『産業人の未来』(1942年刊)を読んだGM(ゼネラルモーターズ)に招聘され、同社の組織について1年半におよぶ研究の成果として著しました。

この書で、マネジメント論の考え方とその必要性を痛切に感じたのです。

上記の2つの経験から多様な企業に基づく産業社会の到来を予見し、その組織は人間の幸福に寄与し、だれもが幸せや生きがいを感じる豊かな社会を追究しなければならないと確信したのでしょう。

だからこそ、ドラッカーの経営論やマネジメント論をはじめとした言説には、人間の幸福の追求という確かな信念(理念)が宿っているのです。

ドラッカーの著書と言葉は、経営とマネジメントさらにはマーケティングとイノベーションについて語るときは断言・断定しているのですが、未来についても透徹した数々の洞察力を発揮し同じように言い切っています。

未来論者といわれているリチャード・ワトソン著『減速思考〜デジタル時代を賢く生き抜く知恵』を、少し前にご紹介しました。ドラッカーは未来学者ではありませんが、「と言うこともできる」とか「とも考えられる」あるいは「という可能性も否定できない」などの逃げ言葉を用意することなく、未来について言及するときでも迷いや淀みもなく確信にみちて断定的に言い切るのです。

もとより、それはドラッカーの広くて深い教養と鋭い観察力の賜です。しかし今日では的を射ていることが数多くあり、そうした彼の言説(予見)から、ドラッカーを未来学者と位置づける人たちが一部にいることも十分に頷けます。

ドラッカーは本当に古いのだろうか

新しい技術と古い技術

経営やマネジメント、さらにマーケティングとイノベーションの各領域において、ドラッカーより新しくすぐれた業績を著している人は他にもいます。

とくに最新の経営学では、多様なファクターによる機能主義的なフレームワークを用いて戦略を提案する、あるいはデータを駆使した計量統計学による因果関係を析出して解を導く手法が主流です。データによる定量化とエビデンス(明証性)がすべての米国では、たしかにドラッカーは過去の人で古いの一言でしりぞけるのは容易いのでしょう。しかし、それらの手法は遠からずAIに取って代わられます。

米国では、すでにそうしたAIによる解にもとづいた経営戦略を導入している企業もあり、AIの決定を受け入れるか否かを人間が意思決定するという記事を目にしたことがあります。リサーチやデータから外されたり漏れたりすること、いわゆるイレレバント(irrelevant)なことや判明しないことを、読むあるいは洞察するのがドラッカーなのです。

一般的に「最新」という言葉に人は引きつけられます。しかし、「最新」とは「今が旬の」あるいは「話題の」さらには「流行の」などの代名詞でもあるのです。

経営を「学として研究している経営学者」たちにとって、ドラッカーを知らなくても読んだことがなくても困ることはありません。経営やマーケティング戦略では、これからも時代や経済、経営環境に応じて次々と新しい考え方と手法が更新されながら提唱されることにかわりはありません。

しかし自然科学を除けば、最新の学説や成果がかならずしも一番すぐれているわけではないことを、古典として残っている書を繙けばわかることです。

古典とは固定された書物であるにもかかわらず、歴史の風化にも耐えてきた価値です。いつの時代にあっても、読む人に普遍性や本質的な問いを投げかけ続けています

ドラッカーはビジネス書の分野において、そうした稀な人です。

新しい理論や手法の提唱者たちとは異なり、人間主体の組織論(企業論)と社会や時代を見つめるドラッカーの鋭い眼差しが古くなるとは、私にはとうてい思えません。

ドラッカーの卓越した著作と言葉は、ビジネスにおいて人文学や社会学の古典と同じような価値を生み出し続けるに違いありません

ウェーバー、デュルケーム、ジンメルなどの社会学者が古いからといって、読まれなくならないのと同じことです。

ドラッカーはわたしたちに「問い続ける人」

十字路で悩む男性

テクノロジーがもたらす高次化した「超産業社会」が進行しつつある今日、ドラッカーは情況や現象などから手際よく理路整然と解を導くことはしません。企業戦略や経営手法、仕事の仕方、ライフスタイルなどがどのように変化しようとも、彼は人間の本質と組織や社会の深淵から語っています。

ところで、私は『【書評】『ドラッカー全教えーー自分の頭で考える技術』(ウイリアム・A・コーエン:大和書房)の記事のなかで、ドラッカーがマネジメントをリベラルアーツと考えていたふしがあると述べました。

彼がまさにそう考えていたことを、下記の書に残していました。

“ したがって、マネジメントとはまさに伝統的な意味におけるリベラルアート、すなわち一般教養でなければならない。知識、自己認識、知恵、リーダーシップという基本にかかわりをもつがゆえに教養にかかわるものであり、実践と実行にかかわりをもつがゆえに教養にかかわるものである。

 したがって、マネジメントにある者は、心理学、哲学、倫理学、経済学、歴史など、人文科学、社会科学、自然科学の広い分野にわたる知識と洞察を身につけねばならない。それらの知識によって成果をあげ、結果をださなければならない。

(中略)

 まさにそのような過程を通じて、再び人間学としての人文科学が認められ、影響をもち、意味あるものとなっていく。”

ーー『新しい現実』(原著1989年)

「20世紀最高の哲人」、ドラッカーはたびたびそのようにも形容されます。

“integrity”(真摯さ・高潔さ)という言葉を、ドラッカーは好んで使っていますが、その姿勢(志)こそ、彼の人間観と社会観にもとづく言説(思想・哲学)の原理として貫かれています。

ビジネスですら研究対象や学問としてきた米国において、その著作と言説において文芸批評の作家論に相当する論、つまり「ドラッカー論」として著されている人は、欧米でも私の知るかぎりドラッカーだけです。

ドラッカーは読まれなくなるでしょうか。私にはそうは思えません。

なぜならば、その人のビジネスの習熟度、知識の蓄積、社会生活での経験値などは人それぞれ異なっているからです

ドラッカーの著書は、それを読む人おのおのにとっての気づきや示唆、触発さらには啓示があり、したがって、著書に向き合ったときの年齢や経験によって異なる読み方、学びがあります。

今日の知識労働者とテクノロジーによる超産業社会についてのドラッカーの思索と足跡は、どのような企業や組織または社会になろうとも、これからも私たちにくり返し問い続けるのです。

仮に私が若い頃にドラッカーに触れていたとしても、そのころにはドラッカーのマーケティングに対する知見を理解できなかったでしょう。いまになって読んだからこそ得心できることがあるのですし、その卓越した思索からの学びがあるのです。

私がビジネスから完全に離れることがあるとすれば、本棚にあるマーケティング、経営や企業戦略に関する書を読み返すことはなく、もはや不要となります。

しかし、ドラッカーだけは例外です。ビジネスに関わりをもたないとしても、これほどまでにその著されたものすべてを読みたいと私が思える唯一のビジネス書であり人なのです。それがドラッカーのもつ深さでもあり魅力だと私は思います。

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梅下 武彦
コミュニケーションアーキテクト(Marketing Special Agent)兼ブロガー。マーケティングコミュニケーション領域のアドバイザーとして活動をする一方、主にスタートアップ支援を行いつつSocialmediactivisとして活動中。広告代理店の“傭兵マーケッター”として、さまざまなマーケティングコミュニケーション業務を手がける。21世紀、検索エンジン、電子書籍、3D仮想世界など、ベンチャーやスタートアップのマーケティング責任者を歴任。特に、BtoCビジネスの企画業務全般(事業開発、マーケティング、広告・宣伝、広報、プロモーション等)に携わる。この間、02年ブログ、004年のSNS、05年のWeb2.0、06年の3D仮想空間など、ネットビジネス大きな変化の中で、常にさまざまなベンチャー企業のマーケティングコミュニケーションに携わってきた。