今日ほど、あらゆるマーケティングの活動領域が広がったことはなく、またその重要性が認識されている時代もないだろうというのが私見です。
本書の原題は“Conversations with Marketing Masters”で、そのタイトルの示すとおり世界のマーケティング業界を牽引し、今日までその発展に貢献してきたマスター(師匠)たち9人へのインタビューによって構成されています。
著者たちは述べています。“マーケティングにひきつけられてやまない人々というのは、人間に強い興味”をもち、さらに“マーケティングをいま以上に意義のある活動にしようとしている”人々なのだと。
本書で興味深いのは、そうしたマスターたちの著書やプロフィールからは伺い知ることができない彼らの原点、つまりどのようなきっかけでプロフェッショナルへの道を歩むことになったのか、またその著書からはわからない本音を直接語り、それを知ることができるところです。そうした意味では、とても貴重な本だといえます。
著者の2人、ローラ・メーザーとルエラ・マイルズはともに英国のビジネスジャーナリストです。英国の『マーケティング』誌の編集長を務め、『エコノミスト』、『フィナンシャル・タイムズ』、『インターナショナル・マーケティング・レポート』、『マネジメント・トゥデイ』などにコラムやレポートなどを執筆し、2004年に設立された「ライターズ・フォー・マネジメント」の共同経営者でもあります。
9人の「マーケティングマスター」たち
本書に登場する9人の「マーケティングマスター」は下記のとおりで、1人1章ずつ割り当てられています。
第1章:フィリップ・コトラー
~マーケティングの創設者
第2章:デービッド・アーカー
~ブランド・エクイティの先駆者
第3章:レジス・マッケンナ
~テクノロジーの将来を見通したマーケター
第4章:ドン・ペパーズ/マーサ・ロジャーズ
~ワン・トゥ・ワンの教祖たち
第5章:アル・リース
~ポジショニングの開拓者
第6章:ドン・シュルツ
~統合型マーケティング・コミュニケーション・イノベーター
第7章:パトリシア・シーボルド
~顧客経験の専門家
第8章:ジャック・トラウト
~ポジショニングの開拓者
第9章:レスター・ワンダーマン
~ダイレクト・マーケティングの伝道師
上記リストアップされている人たちは、マーケティング関係者であればだれでも知っている名前ですし、斯界の第一人者あるいはパイオニアと認められています。
ですから、マーケターのなかには、これらマスターたちの著書を読んでいる人も多いはずです。もしかしたら、これら9人のマスターたちの著書をすべて読んでいる人がいるかもしれません。
本ブログでも、これまでフィリップ・コトラー、デービッド・アーカー、ジャック・トラウトの著書を書評エッセイで取りあげていますし、レジス・マッケンナ、ペパーズ&ロジャーズ、アル・リースなどについても言及しています。
もとより、上記の9人がすべてで絶対だと主張しているわけではないことも、著者たちは十分に承知しています。
ここに「マーケティング近視眼」という有名な言葉とともに必ず語られるセオドア・レビットの名前がないことを疑問に思う人もいるはずです。レビットは、このインタビューをする前に亡くなり、それが叶わなかったと著者たちは残念な気持ちを表しています。
また、80年代半ば以降のリレーションシップマーケティングの端緒を切り拓いたと個人的に判断している、1986年刊(原著、以下同じ)『マキシマーケティングの革新〜「語れ、売るな」の顧客リレーションシップ』(邦訳:1996年刊。以下、マキシマーケティング)の著者として知られる、スタン・ラップとジム・コリンズが入っていない理由が、とくに述べられてはいないのですが、それが私には理解に苦しむ点です。
『マキシマーケティング』の原著が発売された当時、米国では従来のマーケティングからの発想や戦略の転換期を迎えていました。
同書では、マーケティング活動全体、製品開発から広告、PR、SPまでを有機的に連動させたデータベース構築までも含め、CS(顧客満足度)とマーケティングの成果を最大化=マキシ化を推進する思考にもとづく戦略を提唱しています。
80年代半ばにこの『マキシマーケティング』が嚆矢となり、今日では常識となっているリレーションシップマーケティングが、一挙にその中心課題となったのです。
90年代に入り、1991年レジス・マッケンナ著『ザ・マーケティング〜「顧客時代」の成功戦略』、1993年ドン・ペパーズ&マーサ・ロジャーズ共著『One to One マーケティング〜顧客リレーションシップ戦略』、1993年には統合(IMC)マーケティングで著名なドン・シュルツによる『広告革命 米国に吹き荒れるIMC旋風〜統合型マーケティングコミュニケーションの理論』などが次々と刊行され、マーケティング戦略が顧客とのリレーションシップ構築へと急速に旋回していきました。
さらに、80年代にトム・ピーターズやJ・D・パワーが「顧客の満足度」を強く提唱したこと、カール・アルブレヒト著『サービス・マネジメント革命』などの著書が登場したのもこの時期です。
本書でトップに登場するのは、やはりコトラーで現役最年長(91歳)。つい先ごろも『マーケティング5.0:デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』が刊行されたばかりです。
著者たちは順番に苦慮したのですが、マーケティングの代名詞であるコトラーをトップとし、あとは名前のアルファベット順としています。
この記事では、すべてのマスターを紹介することはできませんが、とくに関心の高い人たちを取りあげます。
それぞれの原点、その道程
(1)フィリップ・コトラー
コトラーの名前はマーケティングの代名詞であり、「近代マーケティングの父」さらに最近では「マーケティングの神様」なる称号が使われるほどの人物です。
コトラーは、シカゴ大学でミルトン・フリードマン、その後マサチューセッツ工科大学(MIT)ではポール・サミュエルソンやロバート・ソローのもとで経済学を修めました。
コトラーは、「マーケティングは経済学の一部ではあるが、企業や市場より個人の経済活動(消費行動)にいつも関心がありそれを理解したい」とマーケティングへ進みます。
1960年代にマーケティングの教科書をいくつも読んでいたとき、そこにはなんの理論もないことに愕然とし、それまで学んだ経済学、行動科学、組織論などを駆使して最初の著書『マーケティング・マネジメント』を1967年に出版します。
同書が大きな反響を得たことで、コトラー自身はそのマーケティングへのアプローチに確信を深めます。彼自身、“1975年ごろまでに私の評判は確立されたと思います。”とインタビューに答えています。
その他のことは私がここで多言を要するまでもなく、みなさんもよくご存じのことでしょう。
(2)デービッド・アーカー
ブランド・エクイティやブランド戦略とほぼ同義語なのがデービッド・アーカーです。
アーカーは、MITを卒業してテキサス・インスツルメンツに入社しマーケティング担当者になった後、さらにノーズウエスタン大学からスタンフォード大学へと進みます。
アーカーは計量経済学者で、ブランド選択モデル、メディア決定モデル、広告反応モデルなどを構築しそれらについて執筆していました。
1980年代に入り、戦略リサーチへと関心領域を移し、80年代半ばからブランドとその戦略に焦点を当てましたが、それらについて経営幹部たちは短期的すぎると判断したとのこと。
そこから長期的な視点で資産を構築・管理する必要性を確信することになります。企業における最優先事項のひとつであるブランド資産を高め、その価値を構築・管理できる手法やツールを用意すべきだと決心したといいます。
1991年に『ブランド・エクイティ戦略』、1996年に『ブランド優位の戦略』を出版します。ブランドを資産とみなすことで、企業にとって戦略的な意味を持たせることが可能になったと伝えたのです。
アーカーは、そもそも統計学者だったのですが、マーケティング、広告心理学をはじめとしてさまざまなことに好奇心があったことで、ブランド領域を開拓し貢献できたのだと語っています。
(3)レジス・マッケンナ
マッケンナといえば、ハイテク企業のマーケティングコンサルタントそして、それら企業を成功に導いた人物として知られています。
マッケンナ自身が語るところによれば、彼のマーケティングに対する考え方や手法はすべてそれらのハイテク企業に勤務していた時期に現場で身につけたものであると。
ハイテク企業のマーケティング現場で得た知見が、マッケンナをそうした分野のマーケティング第一人者に押し上げたといっても過言ではありません。
実を言うと彼は、大学時代は哲学専攻でした。マーケティングはもとより、ビジネスやテクノロジーについても正式に学んだことはありません。ですが、経済学や歴史、心理学など人文科学や社会科学の勉強が好きでした。
その後ロースクールへと進み、そこで科学技術や科学史に興味をもち、それらに関する数多くの本を読みあさります。
1960年代、マッケンナに転機が訪れます。ゼネラル・マイクロエレクトロニクス、ナショナル・セミコンダクターの2社で、マーケティング担当者やマーケティングマネジャーとして経験を積みました。
ナショナル・セミコンダクターでは、当時マーケティングと営業部門担当副社長だったドン・バレンタインに雇われます。
彼のもとで、流通業者、セールス・レップ、地域マネジャー、業界アナリスト、メディア関係者とのつながりができたのです。
マッケンナのマーケティング観は、型にはまった考え方、おきまりの教科書的なことに惑わされることがありませんでした。彼にとって、マーケティングとは一連のプロセスで、それは製品と顧客との途切れることのない会話(ダイアログ)であり、先進的な技術はマーケティングが新しいアプローチを生み出すきっかけをつくってきたのだと述べています。
マッケンナにとっての先生とは、クライアント企業とその顧客たちで、彼はマーケティングとイノベーションは同時に進行させなくてはならないと、いかにもハイテク企業でマーケティングの知見を積んできた人らしいマーケティング観を持っています。
彼は、マーケティングはサイエンスかアートかといった議論をしている間に、企業にとって必要不可欠なテクノロジーに進化しているのだと語ります。
1970年、マーケティングコンサルティング企業を創業し、インテルやアップルなどの企業支援でその名を知られることになります。
1991年、マッケンナのそうした知見が詰まった『ザ・マーケティング〜「顧客の時代」の競争戦略』を著しました。
(4)アル・リース/ジャック・トラウト
私のマーケティング視点や考え方について、もっとも多くの学びと示唆を得たのがこの2人です。
アル・リースを現す言葉として、ポジショニングとフォーカスが有名です。大学を卒業後、ゼネラル・エレクトリック(GE)の広告部門で働いたあと、ニューヨークの2つの広告代理店に勤務しました。
1981年、ジャック・トラウトとの共著『ポジショニング戦略』では、コトラーが「革命的なコンセプト」とまで称賛して序文を寄せているほどです。
リースは、人はすべて知覚からなりたつもので、人の心の中で形作られるものはなんでも現実だと思っているのだというのが、彼のマーケティング発想の原点にあります。
リースの出発点は、マーケティングにおける送り手ではなく、受け手に着目したことです。
ポジショニングは認知され実践されてもいるが、フォーカスについてほとんどの企業はこの原則に賛同せず、したがって実践もされていないと。なぜならば、フォーカスは非論理的であり理解されにくく、それが逆にこのコンセプトを価値あるものにしていると語ります。
一方では、あらゆる企業がフォーカスを実践したならば、マーケティング戦略はきわめて困難になるとも述べています。
ジャック・トラウトは、『ポジショニング戦略』をはじめとして、リースといくつもの共著が多いことでも知られています。また、『独自性の発見』でマーケティングにおける本当の差別化についての著書も有名です。
トラウトも、GEの広告部門で働き、その後リースの設立した広告会社に参画します。
ポジショニングという言葉は、トラウトの発案によるもので、ある意味では偶然の産物でもあります。このコンセプトは、心はどのように作用し、どう情報を取り込み記憶するのかに焦点を当てたもの。きっかけはトラウトがリース宛てに1枚のメモを書いたことで、それについて記事を書くように勧められたそうです。
つまり、クライアントの製品を消費者の競争相手の心のなかにどうしたら植え付けられるのか。そもそも、彼らの考え方を競合の広告会社と差別化するための考え方でしたが、それが結局はマーケティング戦略における重要テーマとなりました。
ポジショニングの考え方は、広告業界からはかなり抵抗されたそうですが、企業内マーケターが彼らの言葉を受け入れ、とくに熱心だったのが起業家や中小企業だったそうです。
トラウトは、今日のメガエージェンシーは金儲け第一主義で、クライアントと真摯に向き合おうとしていないし、企業内のマーケターはトップの経営陣が関与しないことに不平を漏らしているとも語ります。
経営陣にとっては、それよりも四半期ごとの短期的な成果に興味があるのだと。
また、CMO(最高マーケティング責任者)という新しい役職についても、在職期間が平均22.9ヶ月ですぐに入れ替わる状況からも、マーケティングが重要な機能だと認められているとはいえないと辛辣に語ります。
ピーター・ドラッカーの重要性
さて、本書の9人のインタビューのなかで、たびたびドラッカーへの言及があります。私はそうした彼らの発言に触れるたびに、マスターたちにとってどれほどドラッカーが重要だったのかあらためて認識します。
インタビューのなかで、恩恵や影響を受けた人についてそれぞれ尋ねています。
コトラーはドラッカーとセオドア・レビットを、アーカーはドラッカーとくに『創造する経営者』とレビット、ドン・ペパーズはドラッカーとマッケンナを、ジャック・トラウトもドラッカーの名を挙げています。
このようにマーケティングマスターたちに多大な恩恵と影響を与えたドラッカーは、マーケティングの人ではありませんが、彼がいかにマーケティングにおいても卓越した視点と洞察力をもっていた人なのかをあらためて知ることができます。
今回ご紹介した本は、私が最近読んだなかではもっとも気軽でありながらこれほど刺激的で面白い読み物はありません。ただ、本書で取りあげられている全員について紹介できなかったことが残念です。
本書はすでに一般書店で入手は出来ませんが、今日ではアマゾン、ブックオフ、バリューブックスをはじめ、その他の新古書店とオンラインで手軽に入手できます。ご興味のある方は、是非一度読むことをおすすめしたい1冊です。
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