とても懐かしい言葉「マルチメディア」。今日では、この言葉をビジネスでもメディアにおいても見たり聞いたりすることはほとんどありません。
1995年のインターネット以前、1980年代末から1990年代初頭はマルチメディアという言葉がメディアに頻繁に登場し、テクノロジーやビジネスに限らず話題の中心でした。そのころのビデオテックス(Videotex)では、なんといってもフランスのミニテルと日本のキャプテンシステムが知られ、新宿の紀伊國屋書店本店に専用端末があったように記憶しています。
フリーランスになりたてのその当時、たまたま友人からキャプテンシステム普及のプロモーションの相談を持ちかけられたことがありました。その友人からは、その後にもキャノンの「パーソナルステーションNAVI」のプロモーションについての話もありました。同製品は電話、ファックス、プリンター、スキャナーなどのすべてを搭載し、先進的なタッチパネル操作という当時としては革新的なワープロで、1990年度のグッドデザイン賞も受賞し、スティーブ・ジョブズ自らもその機能を絶賛するほどでした。その当時、国内でのMacintoshの販売代理店をしていたキャノン製品なので、その影響を受けたさすがの製品だと思っていました。
これはまったくの私見ですが、同製品がMoMA(ニューヨーク近代美術館)の収蔵品となっていたとしても不思議ではないと。しかし、ほかのワープロに比べて高額なこともあり、残念ながら売れませんでした。
いまになって振り返ってみれば、それが2000年以降ずっと私がICTのマーケティングにかかわることになったきっかけだったような気がします。
今回の30周年記念イベントは、1989年の「マルチメディア国際会議」開催から2019年12月で30年にあたり、その会議が果たした意義や役割について語り、この間のネットワーク社会の歴史とデジタル化の急速な進展とを振り返りながら、さらに加速するデジタル社会への提言を行うイベントとして開催されました。今回、友人の江藤哲郎さん(米国イノベーション・ファインダーズ・キャピタルCEO)のご案内で参加が叶いました。出席者は、約50〜60名ほどでした。
イベント概要
当日は以下の5部構成で、テーマは「振り返れば未来、デジタル社会を読み解く〜ITレジェンドからのメッセージ」で、プログラムは下記の通り。
(1)挨拶とこれまでの経緯
・塚本慶一郎(元マルチメディア国際会議フォーラム代表・インプレスホールディングスファウンダー兼最高相談役)
・田中秀範(元マルチメディア国際会議フォーラム事務局長)
(2)基調講演:「マルチメディアは増幅され続けている」(デジタルハリウッド大学学長/杉山知之)
(3)アラン・ケイによるビデオメッセージ
(4)座談会〜デジタル社会の過去・現在から未来へ〜
・加茂純(CDO CLUB JAPAN代表理事兼CEO)
・安西正育(ベビカム代表)
・江藤哲郎(米国イノベーション・ファインダーズ・キャピタルCEO)
・前田融(シンク・ミュージック代表取締役)
・松崎真理(Queue Inc. Community Manager)
(5)懇親会
はじまりは“Knowledge Navigator”
1989年の「マルチメディア国際会議」(2日間)は、オープンして間もない幕張メッセで開催され、そのころ工業製品で世界をリードしていた日本のおもだった大手企業が参加し、世界からは下記のような豪華な顔ぶれが集いました。
・ニコラス・ネグロポンテ(MITメディアラボ所長)「コンピュータに、より人間的要素を」
・ジョン・スカリー(アップルコンビュータ会長)「パーソナルツールとしてのマルチメディア」
・ガストン・パスティアンス(フィリップス取締役)「90年代におけるマルチメディア標準」
・ロン・パルミッチ(IBM取締役)「マルチメディア技術とその応用」
・ビル・ゲイツ(マイクロソフト会長/ビデオメッセージ)「PCの将来はマルチメディア、マルチメディアの将来はPC 」
・アラン・ケイ(アップルコンピュータ特別研究員)「視点は、IQ 80に値する」
上記ほどの人たちが一堂に会することは驚きであり、それが日本で開催されたということに、当時の世界における日本のプレゼンスの高さが理解できるでしょう。
さて今回のイベントの冒頭、1990年のアップル社(当時アップル・コンピュータ)が公表した“Knowledge Navigator”の映像が紹介されます。この映像は、21世紀(設定は2011年)のコンピューティング社会のライフシーンをコンセプチュアルに映像化した作品です。
もう30年前の映像ですが、アップル社はまるで今日のデジタル社会の進展を予見していたかのような内容です。
つまり、メディアはインタラクティブが原理であり、知識や情報はリンクされるべきものだと。
基調講演で、デジタルハリウッド大学学長の杉山知之さんも述べていたことですが、しかし、これほどの関心の高さだったにもかかわらず、その当時製品化されたのは電子辞書や電子絵本、ゲームなどをCD-ROM化したコンテンツばかりで、先進的あるいは仕事上で不可欠な一部の人たちを除けば、そうした高価なPCを購入してまで利用したいとは思わないようなもので、「大山鳴動して鼠一匹」の典型例でした。
「パーソナル・コンピュータの父」アラン・ケイからのメッセージ
今回のイベントで、私がもっとも楽しみにしていたのは「パーソナル・コンピュータの父」と称されているアラン・ケイからのビデオメッセージで、それが参加するための強い動機になっています。
今回のイベントのために、ケイ自身が用意した37分のプレゼンテーションビデオ“A Few Ways To Think About Media”(日本語字幕付き)は、人間の知的拡張としてのメディアの歴史とかかわりについていささか哲学的に語っています。ご興味のある方には、是非ご覧いただければと思います。
テクノロジーでの勝負は、もはやついている
座談会では、30年前の「マルチメディア国際会議」にかかわった人たちの登壇で、過去を振り返りながら未来を展望するというテーマでした。時間的な制約がどうしてもあり、議論を十分に尽せなかったことが残念に思えるほどでしたが、テクノロジーについてはすでに勝負はついているという発言が象徴的です。
登壇者のなかで、米国ワシントン州シアトルを拠点にして同地域のベンチャーやスタートアップ企業と日本の大手企業の間でビジネス支援やコンサルティングを行っている江藤さんの話で、スタートアップというとどうしてもティーンエージャーや20代のイメージがるが、マイクロソフトのお膝元の同州では“大人のスタートアップ”(40代)が中心だという。しかも、そうした起業家たちの約25%がマイクロソフト出身者たちで占められているとのこと。
そうした人たちの実務経験、豊富な知見、多彩な人的ネットワークにもとづく起業が活気を生んでいると。
また、この座談会に当時はまだ生まれていなかった人が一人だけいました。それが「アイデアが報われる社会へ」をビジョンに掲げるQueue Inc.の松崎真理さんです。
彼女は、2008年にフィンランドで始まった世界最大級のスタートアップカンファレンス“SLUSH”に携わり、2015年以降日本でも開催されている“SLUSH Tokyo”にも関わっているようで、今後の勇往邁進ぶりに注目したいと思います。
来たるべきコミュニケーション社会=“Digital Ambient Society”とは
ここで、間もなく訪れるデジタルコミュニケーション社会について考えてみます。
例えば、ミライセンス社では「3Dハプティクス(錯触力覚生成)技術」という”脳をだます”(錯覚をおこさせる)、またイーロン・マスクが立ち上げたNeuralinkはいわゆるBMI(Brain Machine Interface)など、脳とデジタルテクノロジーによるインターフェイスがより進展していくでしょう。
マイクロソフトが提供するMR(Mixed Reality:複合現実)を体験するためのMRデバイス「HoloLens(ホロレンズ)」があります。日本マイクロソフトの開発者向けイベント「de:code 2019」にあわせて、「ホロレンズ」の生みの親であるアレックス・キップマンが来日し、同デバイスを国内初披露したことが大きな話題となりました。
これからの社会では、現実とさまざまなデジタル環境との境界は融解し、そうしたテクノロジーは人が認識している現実に直接関与や介入することができるほどになっています。
そうしたテクノロジーがもたらす人とメディアとのかかわり方について私がいえることは、単に労働生産性とか労働形態(働き方)の変化といったことだけではなく、コミュニケーションや人間のアイデンティティにすら関わるほどの重要なテーマだということです。
「マルチメディア時代の夜明け」から30年。すぐれていたにもかかわらず、一般社会に受容されずに消えていったもの、そのころのテクノロジーの萌芽がようやく今日になり結実した技術などさまざまです。
30年前に描いたマルチメディア構想は、今日ではPCからスマートフォンとして日常化し、さらにウエラブルデバイスへと進化していきます。
結局、プロダクト(デバイスやサービスまたはプラットフォーム)、通信インフラ、コンテンツが三位一体で進展してこそ、市場での一般的な受容や浸透、定着が可能となりました。どれかが欠けてもダメなのです。
私はこの7〜8年、これからの社会はネット空間と現実の社会とが融解した“Digital Ambient Society”になると述べてきました。すべての生活環境はデジタルで常時接続(Always On)が日常であり、とくにそれとは意識しなくても私たちのコミュニケーションを含め、あらゆる行動や生活環境がデジタル化されている社会です。
今日、AI、RPA(Robotic Process Automation)からIoT、VR/AR/MRなど様々なテクノロジーとデバイスが中心となるDX(デジタルトランスフォーメーション)社会。
私たちは、それらテクノロジーについて使い方を知るだけでは不十分であり、それらとの“付き合い方”こそ学ぶべき重要なことなのです。それこそが、真の意味でのICTリテラシーであり、プログラミング教育を含め、真摯に考えていかなくてはならないことだと実感します。
そして「マーケティングコミュニケーションは増幅され続けている」
さて、ここで本記事について総括的に述べます。ここまで読んでくださったみなさんには繰り返しになるような内容ですので、「くどくど言われるまでもなくわかっているさ」という方々は、以下は読み飛ばしてください。
これまでにも、テクノロジーの革新は私たちに様々な変化をもたらしてきたことを実感していることに、だれも異論を唱える人はおそらくいないでしょう。
しかしインターネット登場以後のこの四半世紀は、そうした変化の中でも急速でしかも大激変です。私たち個人のコミュニケーションを含めた生活環境、社会や組織、経済や政治、国家などに、その善し悪しは別にして革命的な変化を与えました。
コミュニケーション環境、とくに人間活動とその関係性(=つながり)の基本となるコミュニケーションは、そうしたテクノロジーの革新性や大きな影響を被ってきました。
マーケティングコミュニケーション領域が拡張している今日の状況について、これまでにくりかえし私は述べてきました。先の杉山学長の基調講演に倣えば「マーケティングコミュニケーションは増幅され続けている」ということは、きっとだれでもが実感していることでしょう。
今後、それが広告やセールスプロモーションのようなアウトバウンド的コミュニケーション、多彩なソーシャルメディアにおけるインバウンド的なそれであるか否か、また好む好まざるにかかわらず、否応なしに私たちはデジタルと“同化”せざるをえない時代に生きているのです。
マーケティングコミュニケーションにたずさわる人たちは、そうしたデジタル空間とそれに依存しているコミュニケーション環境の変化と常に向き合い、それらとの正しい付き合い方を学んでいく必要性に迫られているのだという意識を常に持つことが求められています。