「スマホ中毒」(Smartphone Addiction)という言葉があります。スマートフォン登場からわずか10年余り。今日では、老若男女を問わず肌身離さずにも持ち歩いている機器です。人々をこれほどの依存症にするとは、一体だれが予想しえたでしょうか。
情報や地図などの検索、ニュースなどの情報収集、オンラインを利用してショッピング、ゲーム、映像や音楽からスポーツ観戦などのエンターテイメントを楽しむ、メッセンジャーでのコミュニケーションなどだけではなく、写真撮影や動画まで録画できるのです。さらには、支払いなどの決済までも行えるという、この1台さえあればすべてが完結できる時代です。
マーケティングが大きく旋回しはじめるのは1980年代以降だったことについて、すでに「「顧客志向」について、あらためて考えたこと」でも述べているので、ここでは繰り返しません。しかし、そうしたなかでも、PR(広報)について言及されたりすることもあまりなく、なんとなく蚊帳の外の印象でした。PRに対する考え方や戦略に大きな転換期が訪れたのは、この10年ほどに過ぎません。
シャーリーン・リー/ジョシュ・バーノフ共著『グランズウェル』(2008年、以下すべて原著刊行年)、デビッド・マーマン・スコット著『マーケティングとPRの実践ネット戦略』(2008年)、ブライアン・ソリス著『新しいPRの教科書』(2009年)、アンディ・セルノヴィッツ著『WOMマーケティング入門』(2009年)。そしてブライアン・ハリガン/ダーメッシュ・シャア共著『インバウンド・マーケティング』(2010年)へと、マーケティングコミュニケーションにおけるPRの戦略的な重要性や活動について提唱する著作が続きます。
また、日本においても戦略PRといわれだしたのが2009年です。
こうして振り返ってみると、2008年から2009年にかけてPRに大きな転機が訪れたことが分かります。私がマーケティング思考でもっとも恩恵を受けたひとりアル・ライズが『広告でブランドはつくれない』(2002年/原題:The Fall of Advertising & The Rise of PR)において、“PR first, advertising second.”を提唱し、新時代におけるPRの役割とその優位性を的確に説いていたことにはむしろ驚きます。
こうした上記のような著書が現れた背景には、2つの理由が考えられます。
1つは、ティム・オライリーによって提唱されたWeb 2.0以降、いくつものソーシャルメディアの台頭があったこと。2つはスマートフォンの登場。この2つが、PRにとって劇的な変化と恩恵をもたらしたといえるでしょう。その急速な普及と拡大はどちらか一方だけではなしえず、この2つが相互にアクセラレーターの役割をはたしたことが大きな要因です。
今日のマーケティングコミュニケーション環境を一言でいうなら、Marketing Disruption時代だろうと私は判断しています。こうした情況について、ジェイムス・マキヴェイ著『デジタル・ディスラプション〜破壊的イノベーションの次世代戦略』で、次のように語ります。
“テクノロジーが単なる技術の問題ではなく、顧客の行動と密接なかかわり、強い影響力を持ったことである。現代の消費者はテクノロジーをてこに、企業に対して強い力を持つようになってきている。
主導権を握った顧客には、“囲い込み”など従来型の戦略は通用しない。現代の顧客はモバイル通信機器で商品の評価をチェックし、これまで愛用してきた企業の商品から他の企業の商品へと、迷いなく乗り換える。”
テクノロジーとソーシャルメディアが、接点づくりから購買の意思決定にいたるまで、企業と消費者の関係を根本的に変えたことがわかります。常に携帯していることで、顧客とのタッチポイント、コミュニケーションが時間と場所の制約から離れて常時可能となったことです。
つまり、PRが新しい段階に突入してまだ10年ほどしか経ていません。そうした変化のダイナミズムのなかで、上記をヒントにしてPRについて理解しておくべき「3つのミッション」、一番大切なスキルだと私が思っていることについて今回はお話しをします。
分断されてきたマーケティングコミュニケーション
「情報格差(デジタル・デバイド)」という言葉があります。インターネットをはじめとした最新のテクノロジー、新しいデジタル機器などを活用できる人とできない人との間に生じている格差を表す言葉で、それは世代間だけではなく、地域間や国家間にも存在します。また、高齢者になるほどこうしたテクノロジーや機器類の利用者が少ないことから、情報弱者ーー情報リテラシーやメディアリテラシーに関する知識や能力が十分でない人たちーーという表現もあります。
マーケティングコミュニケーションにも、じつは分断があります。
1つは、広告・宣伝、プロモーションなど、大型の予算を組める企業とそれ以外で、しかも同じマーケティングコミュニケーション業務の範疇でありながら、広告・宣伝、プロモーション部門とPR部門には分断がありました。
2つは、販売する側(企業)と購買者(消費者)における情報量の差(これを「情報の非対称性」という)があることも知られていました。
上記の2点について、「マーケティング「思考」とマーケティング「マインド」について考える」で述べましたので、ご興味がある方はあわせてご笑覧願えれば幸甚に存じます。
遅れて訪れたPRの転換点
『すべては「売る」ために〜利益を徹底追求するマーケティング』の著書セルジオ・ジーマンのマーケティング思考は、極めて広告コミュニケーション志向にもとづいています。彼が「20世紀三大広告人」ということもあります。それというのも、広告が国際的なクリエイティブの賞を取るあるいは広告のみが一人歩きする(話題となる)ことだけで、利益に貢献しないことへの戒めもあります。それでも、ジーマンの考えでは直接的に利益を上げない戦略や施策は無意味になってしまいます。
こうした考え方にも一理あります。彼はマーケティングを投資と考えるべき(その視点自体は正しい)だとも判断しており、そうなればリターンを求めるのは当然だからです。しかし、この考え方は中長期的な視点より、そのつど成果を求める四半期ごとの決算で企業業績を判断するのと等しいということもいえるでしょう。
マーケティングコミュニケーション自体、米国においてはそもそも広告の支援のためだったという経緯があります。その後、徐々に発展して重要度を増しながら、今日では経営戦略と同等に企業戦略の要ともなっています。しかし、それもここ数十年ほどのことです。
こうした事情は、日本だけではなくPR先進国と言われている米国でも、実は10年ほど前までは大差がなかったことは、一昨年取り上げた「【書評】『メディア・コミュニケーション[入門]〜対応から活用へ』(ウィリアム・ J・ホルスタイン:ファーストプレス)」を読むとよくわかります。
私も、PRというのは広告・宣伝に比べると効果は少ないが、費用をかけずにメディア露出させることが目的だと勘違いしていたことがあります。メディアリレーションとくにペイドパブリシティ(アドバトリアル)が大きな役割を占めてきたことが、そうしたPR業務が重要視されてきたという事情もあります。
誤解を恐れずにわかりやすくいえば、広告・宣伝やプロモーションなどはリスティング広告(SEM)やバナー広告と同じです。一方、PRというのはSEOです。すぐに目立った効果を発揮しませんが、徐々に成果を上げていきます。SEOにSEMの役割や成果を求める人はいないでしょうし、逆も同様です。各々の役割も目的も違うことをきちんと認識しなくてはなりません。
PRとプレゼンテーションの類似性
ところで、過日に「「プレゼンテーション私論」ーー成功させるために必要な「3つの心得」と「一番重要なスキル」とは」という記事を書いたのですが、そのプレゼンテーションとPRは、実はある深い関係があることに気づきます。
プレゼンテーションというのは、オーディエンスに対して企業や製品・サービスについてなにかを伝えることです。その説明は説得よりは納得、納得よりは共感を獲得できればプレゼン巧者です。PRにも同様のことがいえます。
広告・宣伝などに比べ、かつては裏方のイメージのあったPR(広報)ですが、この10年ほどのあいだにソーシャルメディアとスマートフォンの日用品化で、急速に表舞台で脚光を浴びるようになりました。
ですから、PR活動でなにがしかの情報をメディアを通じて発信(伝達)するだけではなく、そのなかにさまざまな接点をつくりだして人々を巻き込み、コミュニケーションを促して拡散させることも必要です。こうしたPRとプレゼンテーションの心構えとミッションには、類似性=深い関係があると私が感じる理由です。
PR新時代の「3つのミッション」とは
ソーシャルメディアが日常的なコミュニケーション手段となっている今日、企業もツイッター、ユーチューブ、フェイスブック、LINE、インスタグラムなどさまざまなソーシャルメディアを駆使して情報発信しています。
しかし、これらのツールはあくまでも人と人のつながりとコミュニケーションのために存在していることを忘れてはいけません。ソーシャルメディア、とくにSNSは人と人とのつながりのためにあり、それをPRツールという視点だけで捉えるのは間違いです。
ややもすると、無料で活用できることから顧客を集めそこでプロモーションなどを展開したいと考えがちです。しかし、その発想自体がむかしからの集客をして消費者にアピールすることだと思い込んでいるのと同様です。
PRが新時代に転換したいま、それが担うべき「3つのミッション」があります。それは評判・信頼・つながりを三位一体で醸成をはかることで、この3つを絆(エンゲージメント)にまで高める役割を担うのもPRの仕事です。これは広告・宣伝では難しいことです。逆に一気に認知度を高めるという点ではマスメディアを使った広告・宣伝、プロモーションにはやはり勝てません。PRは一朝一夕とはいかず、これが成果として現れるまでには時間も要します。PRとは、サステイナブルなコミュニケーションの優位性を発展させることで、そうした意識や姿勢で日々に業務にあたることが担当者に求められます。それは広告が担うべき役割とは異なっているからです。
新時代のPR領域は、まだ夜が明けたばかりです。広告・宣伝、プロモーションのような歴史はありませんし、知見や人材も十分とはいえません。
PRは、もちろん広告・宣伝やプロモーションと同様にマーケティングコミュニケーション領域に属する業務で、企業におけるコミュニケーション機能なのですが、機能とは別に忘れてはならないことがあります。
それは、Public Relationsというのは考え方であり、それは機能であると同時にその企業の姿勢や態度なのだということを認識しておく必要があります。語源を考えればわかることなのですが、人々—個人・組織集団・社会—との関係性ということを現しています。つまり、その組織の社会またはコミュニティへの参加表明なのです。それが、私がかつて「ソーシャルメディアは社交メディア」と捉えるべきだと、以前のブログでも指摘したことで、広告 vs PRまたは広告 or PRという二元論で考えるのは間違いで、どちらかを優先するということではなく、それぞれに担うべきことがあり機能も異なります。
ですから、コミュニティにおける社交のありようを、その精神に持っていなければなりません。そのときに重要なのが、対話(ダイアローグ)であって伝達(モノローグ)だけが目的となってはダメなのです。プレゼンテーションで一番重要なスキルは「スピーチ力」ですが、PRで一番重要なのが「対話力」なのです。
しかも、PRは社内外の他部門——広告・宣伝、プロモーションなどのコミュニケーション部門だけではなく、法務、人事からトップまで——と連携しながら活動することが求められています。そうした意味でも対話力が不可欠でしょう。
マーケティングコミュニケーションの歴史において、PRの新時代の役割と考え方、その方法もこれからです。PRパーソンは、上記の「3つのミッション」の自覚、そして「対話」のスキルが求められているということを常に心にとどめておきましょう。