入社1〜2年の新入社員に、大学生と同様の教養科目があると仮定するならば、おそらくドラッカーとその著作だろうと私自身は考えています。業界・業種、経営者とマネジメント層、職種や職務を問わずに読まれるべきと。
この著書は、マーケター、コンサルティング、経営者・マネジメント層、戦略部門(経営企画室、新規事業など)はもちろんのこと、とくにHR(人事部門、コーチング、ファシリテーション、メンタリングなど)関連の業務にたずさわっている人たちにはとても有益だろうと思います。
それというのも、本書は「史上最高の経営コンサルタントでもあった」ドラッカー、その「着想はすべて、コンサルティングの現場から得た」もので、「ドラッカー本人がさまざまな原理をどう現実のビジネスに応用したのか解明するのが本書のテーマ」だと著者が明言しているからです。
原題は、“Peter Drucker on consulting:How to apply
Drucker’s principles for business success”(「コンサルティングにおけるドラッカー:ビジネスで成功するためにドラッカーの原理を応用する方法」)です。ドラッカーは、コンサルティングを大きな糧としながらも、マーケティングと同様コンサルティングの考え方や理論体系を著作として著すことはありませんでした。
その意味で、この本はドラッカーのコンサルティング原論といった趣なのです。
著者のウイリアム・A・コーエンは、ドラッカー思想(哲学)の伝承者とも称され、一昨年(2017年)『マーケターの罪と罰』(原題:Drucker on
Marketing)を本ブログでも紹介しました。同書は、早い時期(1950年代)からマーケティングにおいても卓越した洞察力を発揮しながら、それについて自身ではついにまとまった著書を残すことがなかったドラッカーになり代わり、あちらこちらに点在している創見にみちた断片的なドラッカーのマーケティング観(Marketing View)を集約し、マーケティング原論(原題:Drucker on
Marketing)として編んだ書で、その慧眼ぶりにはフィリップ・コトラー教授も敬服して序文を寄せているほどです。
コーエンのこの新著にもコトラー教授からの序文が添えてあり、そのなかで以下のように語っています。
“ピーターに会うたび、豊かな歴史的知識や未来に対する鋭い洞察に強い刺激を受けた。あれほどさまざまな分野であれほどの深い知識をどうやって身につけたのか、いまもって不思議である。
知り合いのなかで彼ほど博学な人物はいないと思う。”
初のコンサルタントは米軍大佐
1937年、米国に渡ったドラッカーは新聞社でジャーナリスト、銀行などのアナリストの仕事をしていましたが、意図せざる偶然でコンサルタントとなったのです。
1942年、第二次世界大戦のさなか、米軍のある大佐に呼ばれコンサルタントをすることになりました。当時のドラッカーは、しかしそれがどのような仕事でなにをすればいいのかさっぱりわかりませんでした。幸いにも、英国に一時住んでいたとき『シャーロック・ホームズ』を愛読していたことで、「コンサルタント探偵」を理解していたのでその知識を応用することで成果を上げます。
ちなみに、ドラッカーの隣室でこのとき同様にコンサルタントをしていたのが、『マッキンゼーをつくった男 マービン・バウワー』(2007年刊:ダイヤモンド社)その人だったというもの奇縁で、これを機にバウワーと親しくなります。
ドラッカーが本格的にコンサルティングを引き受けるようになったのは、ゼネラルモーターズ(GM)に招聘されて過ごした2年を記述した『企業とは何か〜その社会的な使命』(原著1946年刊/邦訳2005年刊:ダイヤモンド社)が刊行されて以後のことです。
ドラッカーのコンサルティング原理の独自性
ドラッカーのコンサルティング手法は、今日の世界的なコンサルティングファームが行う一般的な方法ーー企業分析、環境分析などから必然的に導かれる戦略や解決策を提案ーーとは異なる唯一無二の考え方によるものです。ドラッカーは「解」を安易に与えるのではなく、当事者(クライアント)みずからを「解」へと導くまたは相手のなかに眠っている「解」を引き出すという原理にもとづいています。
今日のようにソフトウェアに必要と判断されるデータや情報を入力し、そこから得られる分析結果や解答による意思決定をうながすようなやり方ではなく、当事者その人のなかに眠っている経験や知見、人材と組織なども勘案しながら、その当事者みずからが自分の頭で考えることを“教える”のです。
ドラッカーはブレない人です。これまでにもいくつもの経営戦略とマネジメント、その考え方や方法論が開発あるいは提唱され、もてはやされてきました。しかし、ドラッカーはこうした潮流とは無縁な人でした。
それは、ドラッカーがマネジメント(経営学)を「リベラルアーツ」と同じように考えていたふしがあり、それを他者に教える(コンサルティングする)のが自分の仕事だと考えていたような印象を私は受けるのです。つまり、私が上記で「大学生と同様に教養科目」と述べた理由なのです。
ドラッカー独自のコンサルティングは「質問手法」と呼ばれていますが、一言でいえば「ソクラテス・メソッド(ソクラテス式問答法)」です。これは、コンサルタントが一方的にコンサルティング(アドバイスや解決策の提示など)するものではなく、相手に問いを投げかけそれについて考えて答えさせるという対話形式に基づく方法で、欧米のロースクールでは一般的です。
これは私の勝手な推測ですが、ドラッカーは1931年にフランクフルト大学で法学博士の学位を取得しましたが、それと無縁ではないかもしれません。
こうしたドラッカーのコンサルティング原理について、コーエンは次ぎのように述べています。
“問いで揺さぶられてクライアントの頭が動きはじめるからだ。問いが触媒となり、どれほど頭がよかろうが必死で仕事をしようが社外のコンサルタントなど束になってもかなわないほど事実やニュアンスを理解しているクライアントから、はるかに優れた分析や対策が出てくる。適切な問いを投げかけてやりさえすればいいのだ。」”
ほとんどの人たちは、プレッシャーやストレスから、意識していることと潜在意識にあることが未分化のまま混在してしまうという避けがたい状況なので、それを分離することが重要だと心理学者の言葉を引用しながら語ります。
ですから「データを提供するのも、それを解釈するのも、コンサルタントではなくクライアントだと考えるのがドラッカー流」で、そのために基本原理となる「5つの質問」が重要な意味を持ちます。
ドラッカーコンサルティングの神髄「5つの質問」
ドラッカーのコンサルティングの神髄は「5つの質問」と言われているもので、必ず問うべきとしている質問は以下の5つです。
Q1:我々のミッションは何か?
Q2:我々の顧客は誰か?
Q3:顧客にとっての価値は何か?
Q4:我々にとっての成果は何か?
Q5:我々の計画は何か?
上記の神髄については、別途『経営者に贈る5つの質問[第2版]』(2017年刊:ダイヤモンド社)としても刊行されていますので、ご興味のある方は参照していただければと思います。もちろんこの5つだけがすべてではなく(例:1990年代のコカ・コーラのコンサルティング)、あくまでも基本原理です。ほかにも、だれでもが当たり前のように思っている前提条件を疑う、全員(全会)一致の危うさ、意図せざることや意外なものから気づきを得ること、偶然の発見がイノベーションの源泉となることなどについても言及しています。
ドラッカーほどの知識と経験があれば、教えたりなにかを提案したりすることは簡単にできたでしょう。しかし、彼はそうはしませんでした。その相談者に蓄積されているあるいは奥底に隠れたり眠っている情報(知識)を引き出してつなげたり、ヒントを与えてそれらに気づくように仕向けて解決策を導き出します。本人が考えることをうながすのです。それは相手を尊重しながらも、解決策と一緒にその人自身のモチベーションも引き出します。
なぜならば、その解決策の発案や提唱者はだれあろうその人自身が発見し提案したことにほかならないからです。こうしたドラッカーの姿勢や教壇に立ち続けていたことを勘案すると、彼は真の教育者(人を成長させる)だったのだと感じます。
あるインタビューで、さまざまな業界のコンサルタントとして成功できた秘訣を尋ねられたドラッカーは、「秘訣などない。正しい問いさえ投げかければいい」と返答しました。彼の口癖は「一番の専門家は当事者である」だったそうです。
私は上記の「5つの質問」を恥ずかしながら最近になって知ったのですが、とても納得しました。不遜な言いようがもし許されるのであれば、むしろ共感すらおぼえます。
それというのも、私もさまざまな仕事上での経験から得た必ずする私的「3つの質問」というのがあります。それはドラッカーのように、深い思索にもとづいたビジネス原理ほどの意義や価値があるなどとはもちろんうぬぼれてはいませんし、だれでもが日常的に口にしているごくあたりまえすぎる言葉による3つ質問でそれは以下です。
Q1:「できる」ことは何か?(可能性)
Q2:「したい」ことは何か?(願望)
Q3:「すべき」ことは何か?(当為)
多くの人たちの相談に応じていると、ドラッカーが述べているように話しをしている人は、頭のなかが未整理で散らかっているデスクのような状態なのだからでしょう。その話す内容が、上記の3つが未分化のまま混在していることが往々にしてあることに気づいたのです。そこから、私はそれらを整理することである結論を得ることを学びました。
上記のなかで、Q1はいますぐにでも実行あるいは解決できること、Q2はそのひと個人か企業の意向(意志)かという問題とは別に欲求。Q1のできるか否か、Q2のしたいか否かということには選択の余地があります。Q3は「すべきこと」=mustですが、これを問いかけることで、あとは当事者みずからが何かに気づくか解答を引き出すようになるからです。
ですから、私はドラッカーのコンサルティング原理に、実感とともに共感をおぼえるのです。
より多く読み、知り、豊富な知識を得るより大切なこと
ドラッカーについて多言を要するまでもなく、経営を学として確立し(マネジメント論)、その理論の構築という視点からは人文学や社会学の分野でその業績を残してきた偉大なる思想家や哲学者に匹敵し、20世紀という産業社会の飛躍的な発展の時代において、その名と業績はおそらく歴史に刻まれることでしょう。
私が本書を読もうと思ったのは、表題の「全教え」を知りたいからではなく、副題の「自分の頭で考える技術」にひかれたからです。安易に解答を授かりたいからではなく、広くて深い洞察力をもっているドラッカーの考え方、その思考の一端に少しでも触れることができるかもしれないと判断したからです。
人はだれでも、情報量は少ないより多いにこしたことはないと考えがちです。しかし、読書などで知識を得る(記憶する)ということと、自分で思索した結果として理解にいたるということは別のことなのです。知るだけではなく考えることの重要性のほか、生涯学び続ける姿勢、倫理観について、気分転換の効用、偉大なコンサルタントに必要な7つの能力、人事に関する問題など全16章、約300ページにわたり実に多面的に語られています。
ところで、私が自分の頭で考えること(思索力)の重要性に気がついたのは、二十歳を少し超えたころです。それまでは、できるだけ多くの本を読んで可能なかぎりの知識(情報)を得て多くを知ることこそ、もっとも重要なことだと信じていました。
これについて、哲学者ショーペンハウアーのエッセイ『読書について』の一編「自分の頭で考えること」のなかで、じつに示唆にみち的確に以下のように述べています。
“どんなにたくさんあっても整理されていない蔵書より、ほどよい冊数で、きちんと整理されている蔵書のほうが、ずっと役に立つ。同じことが知識についてもいえる。いかに大量にかき集めても、自分の頭で考えずに鵜呑みにした知識より、量はずっと少なくとも、じっくり考え抜いた知識のほうがはるかに価値がある。”
“読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思索の手綱を他人にゆだねることだ。”
“本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ。たえず本を読んでいると、他人の考えがどんどん流れ込んでくる。”
つまり、100冊の本を読んで得た豊富な知識より、10冊の本で自分が深く考える(思索する)ことがとても重要だということなのです。読書とは自分ではなく他者が考えたことを著した内容を読んで、それをたんに記憶に刻んだ(知った)だけなのだということ。「悟り」について十分すぎる知識を得ても、それでも「悟りの境地」にいたることができないのと同じです。教養というのは、自分で思索する態度なのです。
今日では検索さえすれば、平等にアクセス可能でだれにでも知識や情報が簡単に手に入る時代です。だからこそ、自身で熟考する時間をもつことこそ真の教養を醸成するためにむしろ貴重です。
ですから、本当の良書というのはわかりやすい解答(正解)を簡単に提示してくれる本ではなく、むしろ気づきや考えるヒント(示唆)を与えてくれる、あるいはより深い思索へと読み手を導いてくれるような著書または著者なのだ、というのが私個人の考えです。
豊かな教養が育んだドラッカーの洞察力
私は、遅れてきたドラッカーのたんなる一読者にすぎません。今日の米国ではドラッカーはもう古いといわれ、さまざまなデータを駆使した最新の経営学(戦略論)が主流だという実情も耳にしています。しかし、そうしたロジカルだけに依存した方法論は、やがてはAIによって代替されてしまうでしょう。
人間と社会、混沌とした意志の集合体である企業組織への透徹した深い思索にもとづく社会生態学者たるドラッカーの思考方法(原理)は、これからも多くの人たちに気づきや学びなどを与えながら読み継がれていくに違いありません。
なぜならば、それはデータに導かれた思考ではなく、深淵な人間観に根ざしているからです。“古い”はずのドラッカーが、いまだに読者を魅了する理由です。
多くの人たちがドラッカーについて様々に語っているのですが、誰もが一様に口にすることは彼の歴史、経済学、政治学、心理学、人類学、社会学から文学、絵画、音楽などの芸術にいたるまでのその広く深い教養です。それは将来のコンサルティングに役立つことを意図して学んだのではありませんが、結局、そうした教養が彼に卓越した洞察力をもたらすことになります。
ドラッカーは、1928〜1933年までフランクフルトで生活し、同地の大学に籍を置いていました(このときに法学博士号を取得)。そのころ、20世紀の思想に大きな足跡を残したフランクフルト学派が隆盛を極めていた同時代人だったことを勘案すれば、そうした時代性とも無縁ではないでしょう。
また、知謀をめぐらせて富や名声をみずから求めることはせず、コンサルティング企業を創業することはもとより学派としても一派を成す(残す)こともしませんでした。その人柄に直接触れたことはもちろんありませんが、さまざまな人たちの発言からうかがえることは、おそらく高潔で矜恃の備わった人だったことは想像にかたくありません。
これは仮定の話ですが、ナチスを逃れてもしドラッカーが渡米しなかったら、米国生まれでこの国だけで教育を受けただけ人だったら、おそらくはこれほど経営について学として深い原理(哲学)の構築、その方法論を確立することはなかったのではないかと思います。
理論的な整合性を追求し記述するだけの著者とはことなり、広範な知識と深い教養に裏打ちされたドラッカーの思考原理と著書こそ、豊かな知の土壌に育まれたまがうことなき「欧州人」なのだと。
本書は、ドラッカーのコンサルティング原理に関する著書ですが、それは同時に「自分で考えることの教え」でもあることを、読んだ人はきっと得心が行くことでしょう。