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デジタルネイティブ社会における「手書き」考現学

12月は、平日でも連日が週末のように街が人々で賑わっています。手帳売り場も、昨年以上に多くの人たちでごったがえしています。毎年、この時期にお気に入りの手帳を用意する、あるいは新しく最適な手帳を見つけた人もいることでしょうし、今日ではすべてデジタルなので手帳など不要という人もいるでしょう。

さて、12月1日は「手帳の日」だということ、みなさんはご存じでしたか。私は、いまでも手帳を利用しているのですが、この記念日については恥ずかしながらまったく知りませんでした。

これは、「能率手帳」ーービジネス手帳の元祖ともいわれているーーで有名な手帳大手の日本能率協会マネジメントセンターが、翌年の手帳の準備を呼びかけるPRイベントを目的に制定(2006年)したものだそうです。

手帳愛用者でこだわりのある私ですが、ビジネスパーソンの利用者が多い能率手帳は使ったことがなく、2013年にブランド名が刷新された「NOLTY」も手にはとってはみたものの、実際に使用したことはありません。

年末に相応しく、デジタル社会が日常のなかでそれとは反比例する、最近の「手書き」の人気現象についてあえて考えてみます。

衰えない「紙の手帳」人気

手帳とペン

すべてがデジタルで行われる日常となった現在、それとは対照的にここ数年の紙の手書きによる手帳人気には驚きます。これほど各種デジタルデバイスが使いやすくなり普及しているにもかかわらず、手書きによる紙の手帳への需要は衰えるどころか、年々高まりをみせています。

この時期、書店や文房具店、生活雑貨店などには手帳コーナーは活況で、若い人たちを中心にあれこれ見比べながら、自分好みの手帳を探している姿を見かけます。

しかも、若い女性が増えている手帳売り場の風景です。毎年新作手帳が発表され、しかもユーザーごとに細分化し、女性向けのカラフルなでデザイン的にもおしゃれなものが多くなり、かつての“おじさんの携帯品”というイメージはもうありません。

手帳はもはや、会社の支給品や取引関係からのもらい物ですませるという時代ではなくなっています。

海外事情に通じていないので詳しくはわかりませんが、日本にのみ顕著な現象でしょう。日本のこの特異な手帳社会について、「「手帳3.0」デジタル社会で人気が高まる「手帳文化社会」を考える」というブログを昨年には書きましたが、日本人の手帳好きは欧米だけではなく同じアジアでも見られないようで、とくに隣国の中国人(「手帳大国から見る日本人像」)ですら驚いたり感心したりしているほどです。

昨年の上記のブログのなかで、私は以下のように述べました。

“ここ数年の万年筆人気でも感じるのですが、若い世代ほどキーボード入力とフリック入力が当然なのですが、むしろアナログな手帳に万年筆での手書きがカッコイイ(あるいは仕事ができるイメージ)という感覚があるのかもしれません。”

これについて、株式会社ネオマーケティングが2017年に発表したデジタルネイティブ層(18歳〜29歳)への調査で、「Q5. あなたが、アナログ的な要素のある商品・サービス」という項目への回答で、第1位は「アナログ手帳」(72.0%)、第2位が「手書きの手紙」(71.1%)という調査結果となっていることからも、手帳売り場にここ数年デジタルネイティブの若者が多い理由にも頷けます。

それに、これはまったくの私見ですが、カフェや電車などでノートPCに向かってキーボードを打ち込んでいる姿は、当人はそうした意識ないと思うのですが、“はしたない”印象を人に与えるような気がしています。

特にキーボードを打つ音はまわりにも迷惑です。これについては昨年の「「デジタル・マナー」について考える」でもすでに述べました。電車などの公共空間でのキーボード音は、携帯音楽プレイヤーの音漏れほどではないにしても、すぐ近くから耳に入ってくれば誰でも気になるでしょう。

大学で講義をしている私の友人は、授業でのノートPCによるメモやノートを禁止していると話していますし、青山学院シンギュラリティ研究所での連続イベントでも講演中ノートPCでのメモを禁止していました。

アナログへの希求ーー高級な紙の手帳やメモ帳、万年筆が人気

ペンとインク

デジタルネイティブな人たちは、幼少のころから学校の授業や宿題で手書きをすることはあっても、そうした時間よりスマートフォンでフリック入力している時間の方が長いと思います。また大学生ともなれば、講義ノートのほかにも各種レポート提出から卒業論文作成まで自分専用のノートPCを必要とする時代でもあり、手書きするという行為はますます減っているようにも感じられます。

だからこそ、そうした人たちには手書きがむしろ新鮮に感じられるのかもしれません。手書きの“味わい”は、書かれている内容が同じでも読んだ人の印象はずいぶんと異なるでしょう。万年筆で革製ノートに手書きするというのは、デジタルネイティブ世代とってはまさに新鮮なUX(ユーザーエクスペリエンス)なのです。

手書きが煩わしいというよりもそれを楽しいと感じているように、私には見受けられます。

コンビニや100円ショップで安く購入できる手帳やノートがあるにもかかわらず、それなりに高額な製品が人気となっています。

MOLESKINRHODIARollbahnなどが、価格の高いブランドの代表格です。

さらにここのところ年々、万年筆が付録の雑誌を数多くなっていることを不思議に思っている人もいるでしょう。こうした傾向は、男女の雑誌の種別(ファッション誌、モノ雑誌、ライフスタイル情報誌など)にかかわりなく、毎月なんらかの雑誌に万年筆が付録なのではないかと思うほどです。

しかも、ブランド(COACH、BEAMSなど)とのコラボ、人気キャラクター(ゴルゴ13など)のほか、北斎、ムンクなどを冠した万年筆までもあるほどです。

さらに、万年筆好きのためのムック本は定期的にいくつも発売されています。

万年筆は、“自分好みの書き味”のペン先を選ばねばなりませんし、小まめな手入れでスムーズな書きごこちを維持する必要なほど気むずかしく、扱いが難しい筆記具ですがそれが人気のようです。加えて、万年筆と用紙との相性によっても書き味がずいぶんと違ってきます。

すでにiPad Proで利用でき、絵や文字などを自在に書けるApple Pencilがあり、ほかにも手書きのメモをリアルタイムでそのままデジタル化してくれるペンNeo smartpen M1という便利な製品も登場しているという時代なのにです。

手書きの効用

ノートにメモする女性

2016年の『ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)』の「あなどれない「手書き」の学習効果」という記事のなかで、以下のようなレポートを目にしました。

“米プリンストン大学とカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の研究者により、パソコンに打ち込むより手書きでノートを取る学生の方が総じて成績が良いことが判明した。同じくノートの取り方を比較した別の研究者の実験でも、タイピングよりも手で書く人の方が飲み込みが良く、情報を長く記憶し、新しいアイデアを理解するのにもたけていることが分かった。”

ネブラスカ大学リンカーン校で教育心理学を専門とするケネス・キウラ氏は「手書きメモの方がタイピングよりも自分の考えをうまく表現できる」とし、「問題はパソコンを使う人には逐語的にノートを取る傾向があること」で、「皮肉なことに、速くノートを取れることこそが、ノートパソコンを使って記録取ることの魅力だが、逆にそのことが学習(効果)を台無しにしている」とも語っています。

インプットとアウトプットの良好な関係性

付箋ノート

さて最後に、インプットとアウトプットの関係についても私見を述べます。

私は、メモやノートはいまでも手書き派です。もちろん、このブログもキーボードで打つ方が早いので、エディタやワープロなどで作成しています(アウトプット)。ただし、その手前の作業(インプット)は手書きで、常に胸のポケットに入るメモ帳を持ち歩いています。

私の友人や知人にはICTに長けた人が多くいるのですが、そうした人たちのなかにもメモだけは手書きするという人が少なからずいます。

私がメモを取るときに心がけていることは、2つあります。

1つは、初めて知った事、講演内容のキーワード。またデータなど紹介されて参考になるようなものがあれば、その出典元などの情報についてメモするようにしています。

2つめは、講演や話しの内容を逐次議事録的にメモするのではなく、聞いていて私が感じたこと、気づいたこと、ヒントや示唆になること、逆に疑問に残ったことなどをメモするようにしています。

議事録的な内容は、メディア関係者の記者などが参加している場合、話題の登壇者あるいはタイムリーなテーマのときなどは、その内容は記事化され読めるようになることがほとんどですし、講演、セミナー、カンファレンスなどのイベントでは、スピーカーや登壇者たちの話しの内容を全文書き起こすログミーのようなメディアもあります。

ひらめいた言葉やフレーズ、図案や図解などをノートに自由に書き散らし、正式に作成するときに見直します。すると、頭脳の奥底に隠れていて忘れていたようなことを想い出すように、また引っ張り出してくれる手伝いをしてくれます。

自分自身に向けてアウトプットするメリット

積み上がった手帳

上記のメモするときの2つの心がけで、とくに重要なのは2番目です。

私はブログ記事も書いているので、インプット(手書きメモ)情報がなければ、アウトプット(記事)にすることもできません。

そうしたときに役立つのが、「聞いていて私が感じたこと、気づいたこと、ヒントや示唆になること、逆に疑問に残ったことなどをメモ」したことなのです。

講演者が語った詳しい内容についてはほかのメディアに任せるとして、そうではない自分視点の独自性ある記事を書こうとするには、どうしてもそうしたメモの取り方が必要なのです。

かりに、ブログや記事として書かないとしても、それでもアウトプットする行為は大きなメリットがあります。それは「自分自身のために書く」ということです。これは、メモしたことをさらに要約したりポイントにまとめたりするような作業をすることです。

講演内容を聞いただけで済ませるだけではなく、知識として蓄積されことをさらに自分自身の血肉化するためのものです。

例えば、業務上の必要から会社が参加費を出したとして、それをあとでレポートとして提出が義務づけられているような場合でも、上記のように「自分自身のために書く」という意識で挑戦してみてはいかがでしょうか。

そうすることで、それまでとは違う視点でのレポートが作成することができ、同じ業務を担当している人たちと情報共有して議論や自分たちで考えるきっかけとすることができるだろうと思いますし、なによりもまとめる力や自分自身で思考することが鍛えられることはお約束します。

とくに人に伝えるというのが主業務たるPRパーソンにとって、こうしたスキルを磨くことはとても大切だろうと思います。

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梅下 武彦
コミュニケーションアーキテクト(Marketing Special Agent)兼ブロガー。マーケティングコミュニケーション領域のアドバイザーとして活動をする一方、主にスタートアップ支援を行いつつSocialmediactivisとして活動中。広告代理店の“傭兵マーケッター”として、さまざまなマーケティングコミュニケーション業務を手がける。21世紀、検索エンジン、電子書籍、3D仮想世界など、ベンチャーやスタートアップのマーケティング責任者を歴任。特に、BtoCビジネスの企画業務全般(事業開発、マーケティング、広告・宣伝、広報、プロモーション等)に携わる。この間、02年ブログ、004年のSNS、05年のWeb2.0、06年の3D仮想空間など、ネットビジネス大きな変化の中で、常にさまざまなベンチャー企業のマーケティングコミュニケーションに携わってきた。