本書を読んだ人は、シリコンバレーに対するこれまでの考え方や見方、印象がおそらく大きく変わるにちがいありません。
シリコンバレーについて、みなさんはどのようなイメージをおもちでしょうか。最先端テクノロジーを次々に生み出す人たちが世界中から集い、イノベーションを加速させる企業群、そして起業家を志す人たちにとっての聖地。
いずれにせよ、世界のビジネスを牽引している地域というのが、多くのビジネスパーソンが共通して持っているイメージでしょう。
もちろん、シリコンバレーはそうした地域ではあるのですが、むしろこの地域が克服しなければならないさまざまな問題ーー格差、分断、摩擦、軋轢、歪みなどーーについて、新聞記者としての視点から同地域の全体像を描き出し、そこから浮かび上がってくる社会問題などに言及し、一般のビジネス書だけではうかがい知ることのできない、この地域特有の姿が見えてきます。
本書は、2015年3月から2016年6月まで、朝日新聞に掲載された記事に大幅な加筆をしたものです。著書は、同新聞社のサンフランシスコ支局長です。新聞記者の取材を通じたルポルタージュ記事なので、ジャーナリスティックな視点によるシリコンバレーの“不都合な真実”が綴られ、そうした実情について読者に問いかけています。
羨ましいその就労環境ではあるのだが
残念ながら、私はシリコンバレーを訪れたことがありません。こうした著書やメディアあるいは米国在住者が帰国したおり、直接そうした現地の情報に触れるだけです。
<第1章>は、シリコンバレー独特の働き方でみなさんもご存じのように羨ましいと思う就労環境です。ある日、大学のキャンパスのようなグーグルを訪ねた著者が目にしたのは、ビーチバレーに興じる人たち、ジェットバスでくつろいでいる人、カフェでパソコンとにらめっこしている人。服装は自由、働き(時間の使い)方も本人次第で、およそ企業で仕事をこなしているようには思えない光景です。
しかし、こうした仕事のスタイルは米国といえども、ほんのコンマゼロゼロパーセントにしか過ぎません。
日本でも、私が訪れたことのあるいくつかのベンチャー企業では、シリコンバレーとはいわないまでも快適で羨ましい環境の企業はありますが、それでも極めて希な例です。
シリコンバレーで働く外国人が利用する高学歴労働ビザの約70%はインド出身者だそうで、外国人創業者のいる企業の32%はインド人ということです。
現グーグルのCEOのスンダー・ピチャイもインド出身。なぜ、これほどまでにインド人が多いのか。
一般的には、英語や数学などの教育の恩恵という人もいますが、それ以上にシリコンバレーでのインド人のコミュニティによる支援が貢献しているということが、取材からうかがい知れます。
このような先進的で恵まれている就労環境、それでも産休や育休はこうした企業群でも依然として残されている問題です。また、子育てということを考えると、技術職に女性が少ない理由についても頷けます。
軋轢、摩擦が進むシリコンバレーの歪んだ社会
<第2章>は、全5章のなかではもっとも読者に驚きを与えます。ふだん私たちがあまり知る機会のない、しかしシリコンバレーという社会の抱えているさまざまな問題ーー格差、分断、摩擦、軋轢、歪みーー、この地域特有のダークサイド(暗部)について書かれており、今回はじめてその実情を知って衝撃を受ける人も多いでしょうし、私たちが知るこの地域についての情報がいかに一面的なものかが理解できます。
3年前(2015年)、NHK-BS世界のドキュメンタリーの番組『シリコンバレー その知られざる顔』(2014年フランス制作)を見たことで、恥ずかしながら私もはじめて知りました。
行政機関や警察でさえ、こうした企業から支援を受けてこれら企業を優先しているのです。たとえば、グーグル社員専用のバス問題などは典型例で、それにより地域住民が利用する公共交通機関に支障をきたしています。
つまり、悪く言えばその巨大な資金力にものをいわせて、行政や警察ですら自分たちに好都合に動かしている(牛耳っている)ということです。
身内(社員と家族、起業家予備軍やその他あらゆるステークホルダー)には手厚く、それ以外の他人(地域住民など)などお構いなしということに驚き、呆れさらには憤慨する人も多くいることでしょう。
サンタクララ郡のホームレス人口は、全米の郡・市では5番目に多いとのことです。
それは、富裕層の急増で家賃高騰により昔から住んでいる人たちのなかには賃料が払えず引っ越しせざるをえなかったり退去を要請されたりするからです。低所得者向けアパートや保護施設も満杯で、路上生活(ホームレス)を余儀なくされている人たちすらいるのが実情です。
サンノゼ市の女性職員は、「この地域が、こんなホームレスの町に様変わりしてしまうとは思ってもみませんでした」と語り、さらに「これだけ貧富の差を生み出す社会構造はどう考えてもおかしい」という言葉に、この地域の問題の深刻さや根深さが表れています。
自治体のまとめでは、シリコンバレーの平均世帯年収は、全米平均のそれの約2倍である一方、全世帯の30%は公的扶助なしには生活できない世帯だという。援助したくても周辺自治体では慢性的な財政難にあえいでいることで、思うような援助ができない状況なのです。
サンタクララ郡の税務官は語ります。「道路は全米でも最悪のレベル。公立学校に使う金もホームレス対策にも金が足りない。世界最先端地域のはずなのに、こんなことがあっていいはずがない」と。
つまり、莫大な資産を有する企業と富裕層が増加しても、それとは逆にこうした地域で暮らす地域住民たちは貧困にあえいでいるという実態があるのです。
その原因は、ニュースでもたびたび取り上げられているこうした企業の税金逃れです。
では、これら企業はなにもしていないのかというとそういうわけでもなく、自治体が運営する個別のプログラム(慈善活動や公的なセーフティネットなど)には寄付を行っています。
しかし、こうした一見すると社会貢献活動は、一方では自分たちのビジネスに遠からず関連する分野を選別し、優先順位をつけた投資という疑問や批判があります。
<第3章>は、既存企業や業界と規制などとの対立についてです。
日本でもこれまでに何度か報道されるほど、カリフォルニア州ではたびたび凄まじい規模の山火事が発生します。消火活動で亡くなる消防隊員がいるほどです。
2015年の大火災では、空からの消火活動をおこなっている最中、ドローンが周辺を飛び回っていたことで消火活動が危険にさらされ、それによって消火活動が遅れたことに批判が集まりました。
こうした新しく革新的なテクノロジー企業の登場は、これまでの考え方とやり方、規制(法律を含む)では判断できないあるいはそれらと衝突してしまうもので、しかも簡単には答えを出せない問題です。
民泊のAirbnb (エアビーアンドビー)、配車サービスのUber(ウーバー)などは、各々空き部屋や空き時間を活用して個人で臨時収入を得るというメリット(仕組み)を提供する一方、ホテル業界とタクシー業界との対立が表面化しました。
両社のように問題を抱えながらも世界的にユーザーを獲得した企業がある一方で、消えていった企業もあります。
それは、サンフランシスコの深刻な駐車場不足を解消しようと起業した「モンキーパーキング」で、一気に話題となったものの賛否両論のなかわずか2ヶ月で消えていった企業です。駐車場所が、サンフランシスコ市道で公共の空きスペースだったからです。そこを勝手に利用して利益を上げるなんて、モラル的に許されないとの批判です。
それでも懲りず、今度は私道(個人宅のガレージの空き時間なども含む)を時間貸しするビジネスに転換し、「今度は公共の場所ではないから、問題とはならないはずだ」と自信たっぷりな返答です。
また、この3月、上記Uber(ウーバー)が米アリゾナ州で試験運行していた自動運転車が、歩行者をはねて死亡させたことがニュースで大きく取り上げられました。こうした事故のとき、責任の所在は自動車メーカー、ソフトウェア企業、クルマの所有者のどこにあるのか、それが保険会社では議論の的になっています。
<第4章>も、私たちがメディア報道などでよく知る問題、テクノロジー企業と国家の対立です。
国家がテロ防止や犯罪捜査を目的(名目)にして、これらの企業がもっている個人情報を収集していたことです。
もっとも有名なのは、2013年の「スノーデン事件」です。
これは、かつてのCIAに取って代わって“悪役の玉座”についているNSA(米国家安全保障局)が、米国民だけではなく世界中の人たちへの諜報活動をしていたことが暴露された件です。
米国民だけではなく世界が震撼したのは、米通信大手を初めとする民間企業(マイクロソフト、アップル社、フェイスブックなど)が関与していたからです。
2015年、アップル社とFBIとの対立が世界中で報じられました。これは、カリフォルニア州サンバーナディーノ郡でおきた銃乱射事件で14人が殺されたことが発端です。
容疑者夫婦は、イスラム教徒であり過激派組織「イスラム国」に忠誠を誓っていたとされ、容疑者が使っていたiPhoneを分析しようとしたがロックがかかっていたことから、FBIはアップル社に解除するように連邦地裁の命令を発効したが、アップルがそれに反対したからです。
そうしたこともあり、かつてはワシントンとは距離をおいていましたが、その潤沢な資金力で自分たちが望むような政策(例:自分たちに有利な法人税など)実現のために、現在では積極的な政治家へのロビー活動を行っています。
それでも、若者たちを魅了するシリコンバレー
さて、こうした諸問題を抱えているシリコンバレーですが、それでも世界の若者たちを引きつけています。
<第5章>では、さまざまな問題をかかえ住みやすいとはいえない状況にもかかわらず、それでも世界中の若者たちがシリコンバレーを目指す理由について語られます。
この章では、2人の学生に取材をしています。
1人は、シカゴ出身の17歳でスタンフォード大学に入学し、4年生で修士課程に入った大学生。入学すると、だれもかれもまわりでは起業計画の話しばかりに驚いたという。この学生は、スタートアップアクセラレーターとして有名なY Combinator(YC)にも合格します。
しかし、そこで壁にぶつかります。アクセラレーターからの厳しい要求に対し、一刻も早く起業して大きくしなければというプレッシャーから、徐々に自分が本当にやりたいことが分からなくなってしまいます。ほかにも似たような人たちを見てきたと彼は述べ、彼自身も思い上がった学生だったと振り返り以下のように述べています。
「大学でも、同級生たちは、とにかく創業者になりたがっていた。起業することが、みなの意識に埋め込まれているかのようだった。起業家になることが大切で、何をやるのかは二の次だった」
日本でも、私の友人たちのなかにも昨今の日本における「起業熱」への懸念を語っている人たちが何人かいます。私もそうした起業熱の学生たちと話しをしたことがあり、同様な印象を受けたので実感できます。ですから、上記の言葉は米国でも似たような状況なのだなと感じます。
それでも、どのようなスポーツでも、競技人口が多く選手層が厚くなければそのスポーツから優れた選手が登場しないのと同じでしょう。最高のアクセラレーターに認められたからといって、それで将来が約束されるわけではないのです。
結局、彼はYCも辞め起業することも断念します。それでも、「起業はポップカルチャーなようなもの」という、この世代特有の感覚を吐露しています。
また、日本でインターンシップというと、就業体験も兼ねた学生を無償(無給)労働させる、あるいは交通費くらいは支給するという印象ですが、シリコンバレーではインターンといえども月額70万円以上になる仕事がざらにあるとのことに驚きます。
つまり、インターン学生に対してもかなり高額な対価を払っているということです。もちろん、これには学費を学生ローンで払うという傾向が顕著な米国社会という事情もありますし、優秀な学生となれば日本でもかなりのバイト代を稼ぐ人もいます。
もう1人は、サンフランシスコ中心街の一角、かつては倉庫街だったSOMA(South of Market)と呼ばれる場所にスタートアップを構える人です。彼は、地元のシリコンバレー出身ながら東部のMIT(マサチューセッツ工科大学)に入学し、それにもかかわらず同大学を中退し、プログラミングから起業にいたるまで、手取り足取り教える学校を設立しました。
きっかけは、1年生の夏休みに地元のシリコンバレーに帰省したとき、久しぶりに旧友(UCLA在学)と会ったことです。
2人とも趣味で作ったゲームがアップル社のApp Storeでヒットしていたことで、人に学びながら喜んで使ってもらえるものを作ることこそ、自分たちがすべきことだと確信します。
2人はともに大学を中退し、起業を決意します。早速コース(講座)を開設したところ、2人を超えるほどのヒットゲームを作る高校生までもが現れました。たんにゲームでのプログラミングだけではなく、プレゼンからPR、起業の仕方までも教えるコースはたちまち人気となります。
さらには、MITから2人の作ったカリキュラムを大学でも使いたいとの申し出まで受けるほどになります。
シリコンバレーには、YCの他にも500 Startupsなどもあり、さらにはエンジニアのためのプログラミング・ブートキャンプもいくつかあります(日本にもあります)。
記者は、サンフランシスコ近郊のサンクエンティン刑務所を訪問します。米国初、刑務所内で開設されていたプログラミング講座の初の修了式(修了者16人)に出席することが目的でした。このプログラミング受講生の中には、企業を目指すひとまでもいます。
本章の最後、サンフランシスコ市内で開催された高齢者向けのテクノロジー系イベントの取材に出かけます。そこでは、日本企業の存在感の薄さの理由について語られています。ある米国のCEOが以下のように答えている言葉が印象的です。
「日本の企業は政府の規制ができるまで待ってそれに従うことが多いが、米国は政府の干渉を嫌い、規制がないところは自由にやっていいと考える。規制ができた後もおかしいと思えば反対したり従わないこともある。どちらがいいとも言いがたいが、新分野にいち早く進出しようとするベンチャーにとっては、この土壌の差は大きい」
日本では、いわゆる「護送船団方式」に守られてビジネスを長らく展開してきました。マーケティングにおいても、差別化を口にしながら横並びしようとする意識が強いことは、広告代理店の請負マーケター時代にも幾度か経験したことがあります。
かつて、そうしたことが日本経済の発展に貢献していました。しかし、そうした染みついていた強みは、現在では足枷となっています。
それまでの強みが、市場環境が変わればアキレス腱(弱み)になることは、経営戦略やマーケティング戦略では常識です。
私がこの本を手にしたのはビジネス書コーナーですが、いわゆるビジネス書ではありません。ここで語られていることは、ビジネスパーソンであれば無視することができないさまざまな問題を浮かび上がらせ、私たちにむしろ問いかけてもいます。
新しいビジネスの登場は、ある人たちのある課題を解決します。そのことが、新たな問題を生み出すことにもなるという矛盾です。人は、なかなかそこまでは思い至らないものです。
ここで、人類史に残るあの名言を、私は思い出さずにはいられません。誰の警句だったか諸説あるのですが、「地獄に至る道は、善意で敷き詰められている」と。
しかし、逆に「災い転じて福と成す」の例もあります。つまり、それはこうした新たな問題解決のために、誰かにとっての何かのビジネスチャンスの誕生を促す可能性をも同時に秘めているということも事実で、これもまた矛盾なのです。人間は、おそらくこの無限ループから逃れることはできないのでしょう。
本書は、いまのシリコンバレー全体の息吹ーーそれは、ICT企業群、この地域で生活する人々、自治体やその関係者、起業を目指す学生たちなどの実情や抱えているさまざまな問題ーーを私たちに伝えてくれただけではなく、いろいろと考えさせられた1冊です。