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【書評】もうモノは売らない〜「恋をさせるマーケティング」が人を動かす(ハビエル・サンチェス・ラメラス:東洋館出版社)

「はじめに」を読み出した人は、これから語られるその内容をもっと知りたくなり、先へとはやる気持ちにきっと駆られることでしょう。本書は、誰もが知っている世界的企業でマーケティング部門のトップを経験してきた実務家による著書です。

ハビエル・サンチェス・ラメラスは、P&G、コカ・コーラなどでマーケティング部門の責任者を歴任し、手がけた広告は世界各国で数々の賞を獲得したのち、現在はロンドンに自身が設立したマーケティング・コンサルタント企業でCEOを務めています。

昨年、同じ実務家のセルジオ・ジーマンの『すべては「売る」ために〜利益を徹底追求するマーケティング』を書評で取り上げました。彼もラメラスと同様、P&Gとコカ・コーラでマーケティング部門の責任者でした。本書の邦題も、とても挑発的です。
マーケティングコミュニケーション部門、とくにブランド戦略を担当にしてきたラメラスの語る言葉は、それにたずさわる人たちはきっと気づきやヒントが詰まっているはずです。

序章(P18~P40)は、ラメラスが両社で経験してきたことをただ綴っただけなので読み飛ばしてまったく問題はないと本人は語りますが、むしろ人によってはこの章がもっとも面白いに違いありません。
眼前にある仕事に集中すること、出会いやチャンスにおじけづくことなく積極的に挑戦することなど、若い人たちでとくに将来のキャリア形成を考えている人たちにはとても示唆に満ちています。

【書評】もうモノは売らない〜「恋をさせるマーケティング」が人を動かす(ハビエル・サンチェス・ラメラス:東洋館出版社)【書評】もうモノは売らない〜「恋をさせるマーケティング」が人を動かす(ハビエル・サンチェス・ラメラス:東洋館出版社)

弁護士からマーケターへの転身

ラメラスはスペイン出身です。父親は裁判官で、ラメラスも大学卒業後は当然のように弁護士の道を歩み出します。
しかしある日突然、バルセロナでMBA取得を決意したことが、その後の彼の人生に大きな転機をもたらします。P&Gから学校へ求人があり、さして期待もせずに応募し採用されます。

1988年、ラメラスの“マーケター人生”の始まりです。名刺には「ハビエル・サンチェス・ラメラス アリエール・ハンドウォッシュ担当 ブランド・アシスタント P&Gカンパニー」と刷ってありました。
マドリッドのP&Gで数年をすごし、その後はギリシャ、ベルギーなどでマーケティングマネジャーを歴任します。

1996年、スペイン時代の元上司からコカ・コーラへの誘いがあります。ラメラスはP&Gの仕事に十分満足していて移籍する気はありませんでしたが、思い切ってスイスのコカ・コーラに移ります。
洗剤メーカーから飲料メーカーへの転身、それはラメラスにとって興味深いと同時につらいものとなります。
それまでP&Gで築いてきたキャリアや実績が、この移籍先では通用しなかったのです。業種が違うので当然といえばそれまでなのですが、コカ・コーラではP&G時代とはマーケティングに対する考え方や手法がまったく異なっていたのです。

そこで、ラメラスは決心をします。前の会社で得たことはとにかく忘れ、彼にとっては屈辱的ではあるがすべてをいちから学ぶしかないと。
最初、東欧諸国担当となります。当時、これらの国々ではブランドによる商品選択という意識が新鮮だったことが幸いし、ラメラスは数々の成果を上げます。

1998年、一端スペインに戻ったあと北欧マーケティング責任者兼バルト諸国支社長に。

2003年、ラメラスは実績を買われて米アトランタ本社に抜擢されます。欧州人として初の全世界のコカ・コーラ・ブランドのトップに立ったのです。このとき、「ブランドも老いる」ことを知ったことは、彼をして目から鱗が落ちる経験だったと語ります。

2007年、コカ・コーラ・ラテンアメリカのマーケティング担当兼副社長に就任。マーケティング部門だけで、なんと300人以上も社員がいるほどの規模です。

2013年、コカ・コーラ欧州社長からの要請でロンドンへ。この時期に欧州は不調で、ブランド戦略の転換・再構築を推進して成果をあげます。

ラメラスは、アジアやアフリカ地域を除き、グローバル企業で世界各地のマーケティング戦略を牽引し、一貫してマーケティングを担当してきた点でジーマンと共通しています。

しかも、1990年代から2010年代前半まで、テクノロジーによるマーケティングの大転換期に、一貫して企業内でのマーケティング戦略を牽引してきました。

これは余談ですが、マーケティングに対するスタンス(考え方)が異なることで、ジーマンには一目おいていましたが言い争いになったこともあり、仲は良くなかったことがエピソードとして語られています。

試行錯誤、それが本書の原型

ビジネスマンのアップダウンと歯車

この著書に書かれている内容は、ラメラス自身が仕事のなかで作成したパワーポイントの資料が基になっています。彼自身のキャリアのなかで、知り学び(教訓)、実感してきた知見が詰まっています。

ラメラス、本書で以下のように述べています。

“「だが、正直に言おう。私の道のりは試行錯誤の連続だった。そして、マニュアルや組織にはいまだにマーケティングに対する誤解が多く残っている。(中略)素晴らしいアイデアがゴミ箱に捨てられ、ひどいアイデアにかなりのリソースが割かれているのを何度も目にしてきた。」”

さらに、「そんなことはないと語るマーケターがいるとしたら、それは嘘だ。」と語気を強めるほどまで言い切るラメラス本人は、失敗よりもちろん多くの成功を手にしてきました。

マーケティングに通じていると思われているこれらの企業ですらそうした実態なのですから、そのほかの企業は日本に限らず推して知るべしということでしょう。

本書は、ラテンアメリカ時代、彼直属の精鋭でコアなマーケティングチームを編成し、ラメラスのマーケティングについての考え方や戦略とその手法を説明し、理解してもらうために用意した資料が原型です。
その後、数人の友人や知人たちの求めに応じて配り、それが評判となりさらに広告代理店からもラメラスの作成した資料が欲しいとまで要請されるようになります。

“ブランドに恋をさせる”ことがマーケティング

ハートと鍵

<第1章>は、ラメラスのマーケティングについての考え方を述べています。彼は、飲料水ビジネスではなくブランド・ビジネスをしているのだと語ります。

ラメラスは、人間は感情脳による生き物であり、製品は基本的には理性脳に訴えるがブランドは感情脳に寄り添うものだと。人は製品を買う−−それは機能や価格など理性脳になんとか理解してもらうことを要求するーーが、ブランドは心から受け入れることでそれによってもたらされる経験すべてを買っている

したがって、マーケティングとは“ブランドに恋をさせる”プロセスであり、製品に結びつけられるあらゆる価値が欲望を引き出す。つまり、マーケティングとは人を“誘惑する”行為という考え方をしています。
これは善し悪しという価値観や判断とは関係がなく、恋愛と同様にまさに「ブランドは盲目」ということだと感じます。

ただし、人とのコミュニケーションは本質的には感情脳に根ざしているが、マーケティングそのものは戦略的できわめて合理的な決定であり活動だと。

<第2章>は、マーケティングプロセスについて。リサーチ(消費者調査)は当たり外れが大きく、短時間で正確な結果を得ることもあれば時間と費用を十分にかけても不正確なことがあることを知っておくべきだと。また、プレリサーチでおかしやすい顕著な傾向として、感情脳のから引き出すべきことを理性脳による質問でしてしまうなど。
デザイン(パッケージなどを含む)比較などでも、消費者にたずねると陥りやすい設問や誤りにも注意をうながしています。

また、相関関係があるからといって、かならずしも因果関係があるとは限らないことを強調しています。もし、高い相関関係は因果関係があると主張するリサーチャーがいたら、すぐに別の人を雇うべきだとまで断言します。
この相関関係と因果関係についての指摘は、昨年紹介したクリステンセン教授の『ジョブ理論〜イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム』でも同様のことを述べています。

組織ーーチーム、他部門、協力会社などーーのあり方については、まずマーケティング部門の意義と役割、達成したい目的=得たい成果を明確にし、それからやり方(手法やリソースなど)を考えるべきだと説いています。
それには戦略に対する正しい理解、指示する場合には良いブリーフ(簡潔で明確な資料)が求められるので、その作成の仕方についても解説しています。

良いアイデアを生み出すときの留意点、マスターブランドという視点の大切さなどについても言及しています。

<第3章>は、本書250ページのうちもっとも分量が多く中心となる章です。

ブランドへの“恋心”を誘うために、ラメラスは「8つのコツ」を提言しています。
あるブランドが、そのカテゴリでの平均年齢よりも顧客の平均年齢が高いまたはシェアが下がり続けているとしたら「ブランドが老いている」可能性があり、すみやかに新規顧客の獲得に戦略をシフトすべきだと。

それでも、すぐに成果があがるわけではなく、うまくいかない場合にはどうしても既存顧客の利用頻度向上に舵を切りたくなるが、その罠には陥らないようにすることに注意するように。
それには時間がかかり骨の折れることであっても、将来の顧客を獲得し育成することは長期的にはマーケティング投資に見合うことなのです。

また、戦略として安易に製品ラインを増やしたい気持ちに駆られても、それはブランドの老化を加速させるだけだと忠告しています。

正しいターゲット(新規顧客)を見つけたら、関係づくりのための効果的なアプローチをします。
ここでは「9つのコツ」を挙げていますが、良いコミュニケーションとはまず“聞く”ことと“答える”ことで、人は自分の価値観に合うーーそれは考え方や価値観を代弁してくれているーーと感じさせてくれるブランドを好きなります。

ラメラスは、マーケティングコミュニケーションにおいてもっともキーとなるのは、人々が欲しがっているものを提供することではなく、狙いどおりに“感じさせる”ことであると述べています。

そのために「6つのコツ」を挙げています。
それはシンプルであること、ストーリーの核に人間(ターゲット)の価値観を置くべきことだと主張しています。

新しいメディアは常に注視し、ソーシャルメディアには迅速に答えることはもちろんだが、将来を見据えてオウンドメディアを開設してブランドに結びつく優良なコンテンツを配信することをすすめています。

All You Need Is Loveーー愛こそすべて!

ハートの風船を持つ様々な人

本書を読んで私が思い出したことがあります。
顧客を熱烈なファン(支援者)とし、そうした人たちをマーケティング戦略に活用するアンバサダー(プロモーター)という考え方があります。

3年前、私は「アンバサダーサミット2015」(アジャイルメディア・ネットワーク主催)に参加したときの感想を、ITメディアのマーケティングブログに連載し以下のように書きました。

「エバンジェリストやアンバサダーは、もう「愛の精神」なのだ。愛ほど強いものはない。All YOU NEED IS LOVE! 愛こそすべてというわけだ。」(序論)

「テクノロジーの発達でマーケティングオートメーション(SFA、CRM、CMSなど)が進み、効率的かつ最適運用が可能になった今日、なぜあえて手間も時間もかかり、成果を可視化しにくいアンバサダープログラムを実施しているのか。それは、企業が消費者からの「愛」を獲得したいからだ。」(本論)

私は、企業が手間がかかり効率的とはいえないこうしたハイタッチのコミュニケーション活動に時間も費用も費やし推進しているのは、ほかの誰でもなくその製品(とそれを提供している企業)こそを選んでほしいという切なる願いのためのさまざまなアプローチであり、それこそまさに顧客からの愛を獲得したい行為にほかならないと述べました。

今回、本書を読み、「顧客からの愛を獲得せよ」と述べたことは、私の勝手な考えやただの思い込みなどではなく、マーケターとしてラメラスも同じように実感してきたことを確認できたことは、私自身にとってとても収穫となりました。
つまり、企業にとってのマーケティングコミュニケーション活動は、どの企業においても顧客からの「愛こそすべて!」なのだと。

これはむかしからの私の勝手な持論なのですが、ブランディングするというのは企業だけでは作りだすことはできません。なぜなら、それは消費者の頭や心の中にあるからです(原著の副題は、“The Heart and the Brain of Branding” )。
企業が狙ったとおりのブランドを確立できるか否か、その半分は顧客が握っているのです。だからこそ、顧客に理解して欲しいしなんとしても相思相愛になりたいのです。

前回の書評『マーケティングの教科書〜ハーバード・ビジネス・レビュー 戦略マーケティング論文ベスト10』とは対照的に、こうした実務家の経験をとおして語られる数々のエピソードを交えた著書はビジネス小説のような面白さがあり、読んでいて愉しいということをあらためて感じました。

スペインで父親の希望どおりに弁護士のまま仕事を続けていたら、一体どのような人生だっただろうかとラメラス自身は振り返ります。
「マーケティングが最高の仕事だ。」と叫ぶように締めくくるラメラスの言葉は、同じ仕事にたずさわり本書を読んだ人たちには励みになり、大きな余韻としてきっと心に残ることでしょう。

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梅下 武彦
コミュニケーションアーキテクト(Marketing Special Agent)兼ブロガー。マーケティングコミュニケーション領域のアドバイザーとして活動をする一方、主にスタートアップ支援を行いつつSocialmediactivisとして活動中。広告代理店の“傭兵マーケッター”として、さまざまなマーケティングコミュニケーション業務を手がける。21世紀、検索エンジン、電子書籍、3D仮想世界など、ベンチャーやスタートアップのマーケティング責任者を歴任。特に、BtoCビジネスの企画業務全般(事業開発、マーケティング、広告・宣伝、広報、プロモーション等)に携わる。この間、02年ブログ、004年のSNS、05年のWeb2.0、06年の3D仮想空間など、ネットビジネス大きな変化の中で、常にさまざまなベンチャー企業のマーケティングコミュニケーションに携わってきた。