本棚の奥から懐かしい本が出てきました。井上一馬の著書『シリコンバレー戦国史@誰が覇者となるのか』(1999年:新潮社)です。
同書刊行のころ、広告代理店の請負マーケター業に限界を感じていた私は、タイミングよく知人に請われるままに最初のベンチャーで仕事をはじめたばかりで、同書を読んでワクワクしたことをいまでも覚えています。
今日では、シリコンバレーに関する書籍は大型書店に出向けばビジネス書コーナーの一角を占めていますし、アマゾンで検索すれば330件以上ヒットするほどさまざまな書で溢れています。
しかし、20年前には梅田望夫の著『シリコンバレーは私をどう変えたか〜起業の聖地での知的格闘記』(2001年:新潮社、2006年改題『シリコンバレー精神』ちくま文庫)など、片手で数えるほどしかありませんでした。
『シリコンバレー戦国史』は、シリコンバレーの沿革、代表的ハイテク企業11社、ベンチャーキャピタル(VC)、エンジェルなどが競ってビジネスをイノベーションしているさま、そうした企業群とその人物たちが描かれ活気と刺激に満ちていました。
10数年ぶりにページをめくると、その面白さに思わず引き込まれます。
同書では、数々のハイテク企業が登場し、起業しやがては消えていったいくつもの企業について触れています。
米ヤフーとアメリカン・オンライン(AOL)についても章を割いて紹介されています。刊行当時の両社は絶好調でした。そのころは、どちらがネット社会(オンライン)の制覇するのかとみなが興味津々でしたがそれから20年後、両社が消滅すると一体だれが想像し得たでしょうか。
スタンフォード大学と企業家精神
シリコンバレーという呼称は、正式にはサンタクララバレーとその周辺地域の通称なのはみなさんもご存じでしょう。
そうしたベンチャー(スタートアップ)、それに資金提供するVC、育成するための個人資産家でエンジェルと呼ばれている人たちなどが集積し、羨ましい環境を形成している一帯です。
シリコンバレーは、スタンフォード大学と密接に関係があります。現在では、東のMIT(マサチューセッツ工科大学)、西のスタンフォード大学として有名ですが、それは20世紀後半になってからのことです。
それまで、スタンフォード大学は西海岸の田舎にある無名な大学に過ぎず、高校生たちは東部のアイビーリーグ(ハーバードなど)を目指すので学生が集まらず、一時は経営困難に陥るほどでした。
その打開策として、大学の広大な敷地に企業を誘致することを思いつきます。その一方で、優秀な学生には自分たちで会社を興すことをも推奨していました。そうした中から、ベンチャー企業としてヒューレット・パッカード(HP)社が1939年誕生します。
同社は、パロアルトにあるパッカード家のガレージで設立され、そのガレージは2007年には「シリコンバレー発祥の地」として史跡にも指定されています。
HP社は、オープン・ドア・ポリシー、フレックス勤務、服装規定などを設けず、自社株購入権(ストックオプション)なども社員に平等に与えた“HP WAY”という企業文化が特徴で、そうした考え方は今日のベンチャー企業にも受け継がれています。
シリコンバレーの芽生え
現在のようなハイテク産業中心の始まりは、スタンフォード大学出身でトランジスタを発明したウィリアム・ショックレーが、1955年にマウンテンビューに半導体の研究所を開設したことが直接的なはじまりです。
IBMがコンピュータの生産を開始したのは1950年で、技術系トップ大学のMITと協力して開発しました。7年後の1957年、MIT出身のケン・オルセンが設立したデジタル・イクイップメント(DEC)が、IBMより小型のコンピュータの開発に成功します(2001年、HP社に買収される)。
この時期、IBM、GEなどの東部の企業が優秀なエンジニアを集めていました。
ショックレーは、研究者としての名声からなんとか若手の優秀な人材を集めます。それらのなかにはのちに集積回路(IC)を発明したロバート・ノイス、インテルを起業したゴードン・ムーアなどもいたのです。
しかし、ショックレーの横柄さに嫌気がさした8人が同社を退社し、紹介を頼りにニューヨーク投資銀行のパートナーだったアーサー・ロックから、当時のフェアチャイルド・カメラ・アンド・インスツルメントの協力を得て、その子会社としてパルアルトにフェアチャイルド・セミコンダクター社(2016年、オン・セミコンダクターに買収される)を設立します。
アーサー・ロック自身は、その仲介を機にニューヨーク銀行を辞め、サンフランシスコにオフィスを開設し、ベンチャーキャピタリストへと転身します。
ロックは、のちにインテルやアップルの設立にもかかわることになります。また、VCという言葉を考案したのもロックだといわれています。
シリコンバレーの発展
それらのハイテクメーカーの親会社は東部の企業なので、その伝統的で官僚主義的なビジネス手法に多くの従業員は不満を募らせていました。
上記のフェアチャイルド・セミコンダクター社からは何人もがスピンアウトまたはスピンオフし、最初の8年間だけでも10社のベンチャー企業が生まれたのです。
これらのなかでもっとも有名なのは、ロバート・ノイスとゴードン・ムーアが部下のアンディ・グローブとともに1968年に起業したインテルです。
ほかに代表的な企業では、1959年設立のナショナル・セミコンダクター社、1969年設立のアドバンスト・マイクロ・デバイセズ(AMD)などがあります。
こうして1960年代末には、シリコンバレーには30数社の半導体メーカーが誕生していました。
また、資金投資だけではなく経営戦略のアドバイスや人材などのコンサルティングを行うVC大手のクライナー・パーキンス・コーフィールド&バイヤーズ(KPCB)ーー主な投資先は、グーグル、フェイスブック、アマゾン、ツイッターなどーー、もう一方の雄のセコイア・キャピタルーーアップル、オラクル、ヤフー、エバーノート、インスタグラムなどーーがともに1971年に設立されます。
こうして1970年代前半までに、今日のシリコンバレーの礎が築かれました。この地域全体がベンチャーの発掘と育成、発展のためのエコシステムとして形成されており、この地域自体が一種のゆりかごあるいは孵化装置の役割を担っています。
また、これは私見なのですが、1970年に設立されたゼロックス・パロアルト研究所の存在は、その後のシリコンバレーが形成されたことに間接的には大きな影響があるように思っています。
ちなみに、シリコンバレーという言葉は、ジャーナリストのドン・ヘフラーがそのころ『エレクトロニクス・ニューズ』紙のなかで、1971年に使い始めたことがきっかけです。
加えて、現在ではネット系ベンチャーが集まるシリコンアレー(ニューヨーク)、シリウッド(ILM、ピクサーなど)の存在も注目を集め、従業員が株主でもあるストックオプション(これが本来の意義)、服装規定がないこと、東部のいわゆるエスタブリッシュメント企業とは文化が大きく異なることなど、ベンチャー企業的な精神や文化をもった企業群が増えている地域などもあります。
11社中、5社が消滅
先の紹介した『シリコンバレー戦国史@誰が覇者となるのか』では、地理的にはシリコンバレーにはないマイクロソフト、AOL、アマゾン、デル、コンパックも含め、1999年の刊行時に代表的な下記の11社が各々章を割いて紹介されています。
1.インテル
2.マイクロソフト
3.ネットスケープ
4.サン・マイクロシステムズ
5.オラクル
6.アップル
7.アメリカン・オンライン(AOL)
8.ヤフー!
9.アマゾン・ドットコム
10.コンパック
11.デル・コンピュータ
上記のなかで、現在でも発展し残っているのは約半分の6社(インテル、マイクロソフト、オラクル、アップル、アマゾン・ドットコム、デル・コンピュータ)です。
この中で、アップルはジョブズが1997年に劇的に復帰して初代iMacを売り出すまでは、買収や倒産の噂が毎日のようにネットのニュースになり、IBMに買収される直前でした。
そうしたアップル社に関するニュースが増え続けるなか、Macに見切りをつけてウィンドウズPCに転向する人が増え、私の友人にもそうした人が何人かいましたが、私はどうしてもMacを捨てられませんでした。
いまになって振り返れば、それは賢明な判断だったとはいえるのでしょうが。
1994年設立で、世界初の商用ブラウザNetscape Navigator(NN)を世に送り出したネットスケープ社は、マイクロソフトのInternet Explorer(IE)とのいわゆるブラウザ戦争に敗れ、1998年にAOLに買収されて消滅しました。
私はブラウザが好きなのですが、IEはほとんど利用したことがありません。NNとアップルのCyberdog(サイバードッグ)を使い続け、その後はFirefoxを長らく使用していました。
2002年、コンパックは世界初のIBM PC互換機を“低価格”で製造したメーカーで(1992年にはその低価格で「コンパック・ショック」と日本ではいわれるほど)、HP社に買収されました。
2009年、サン・マイクロシステムズはオラクルに買収され、実質的には消滅しました。
時代を牽引したヤフーとAOLの衰亡
2015年、インターネットサービスのAOLが米携帯通信大手ベライゾンに買収され、2016年にはかつては検索も含めたポータルサイトでネットビジネスを牽引したこともある米ヤフーもそのベライゾンが買収したのは象徴的なことです。
AOLは、米国を代表するインターネットプロバイダで、その全盛期は1998年の映画『ユー・ガット・メール』(トム・ハンクス、メグライアン共演)でしょう。
同映画では、メールのやりとりが重要な要素なのですが、ネット接続時のPC画面には必ずAOLの文字が表示され、これは一種のプロダクトプレイスメントだろうと私は感じました。
この映画の影響もあり、プロバイダをAOLにした人が続出するほどの人気でした。
この前後のAOLは、1997年にアメリカ最大のパソコン通信大手CompuServeを買収、映画公開の年(1998年)にはネットスケープ社を買収、2000年にはタイム・ワーナーを買収し、小さなベンチャーが世界的メディアグループを飲み込み、インターネットと既存メディアの融合による世界最大のメディア・オンラインサービス会社を設立すると宣言して世界を驚かせるほどでした。
AOLの狙いは、テレビ・映画・音楽などタイム・ワーナー資産をネットコンテンツとして活用することでした。しかし、この買収劇は大失敗に終わります。
AOLとタイム・ワーナーの社内抗争、米ITバブルの崩壊、ブロードバンドへの移行の遅れなどいくつか要因はあるでしょう。
2017年、米ヤフーはそのベライゾンに同じく買収され23年の歴史に幕を閉じました。AOLと米ヤフーが同じ携帯通信の最大手に買収されたことも象徴的で、しかも2社ともブランド名そのものも残されずに完全に消滅します。
今後、ベライゾンの下でAOLと米ヤフーは統合されて新ブランド「オース」(Oath)として出発します。
成り行きが大きく注目されていますが、私個人は残念ながらうまく行くとは思っていません。
米ヤフーは、検索エンジンではグーグルに敗れ、Web2.0以降ではソーシャルメディアのフェイスブックの台頭もあり、様々な企業の買収を繰り返しましたが時代遅れとなったポータルビジネス以外の新規事業を育てることが結局はできませんでした。
2012年には、ライバル企業であるグーグルの元役員マリッサ・メイヤーを新たなCEOに迎え、起死回生を測りましたがそれも実りませんでした。
ジェフリー・ムーア的にいえば、これも、それも、あれもと手を出して「ゾーンマネジメント」ができず、結局は次の波を捕まえることができませんでした。
米国では、買収や合併が日常茶飯事で消滅した企業は、こうして振り返ると感慨深いものがあります。私が一番印象に残っている買収劇は、2005年にアドビ社がライバル企業であり訴訟合戦にまで発展していたマクロメディア社を買収したことです。
私自身、いくつかのベンチャー企業を渡り歩いてきた経験からいえることは、ベンチャービジネスというのはギャンブルと同じようなものだと感じます。
それでも仕事でのワクワク感や好奇心が刺激されるなど、そうしたビジネスは大手企業ではけっして味わえない貴重なものだと断言します。