私が経験し知りうる限りにおいて、ビジネスにおいてマーケティングが今日ほど重要だと認識されている時代はありません。
過日のブログでは、私のマーケティング思考においてもっとも恩恵を被っているジャック・トラウトとアル・ライズへの入門書的な『競争としてのマーケティング』(総合法令出版)を取り上げました。
今日の「猫も杓子も」顧客志向のなかで、「その考え方やマーケティング戦略でよいのか」と、あえて問いかけるあるいは指摘していました。
私自身、顧客志向を意識してからすでに四半世紀(1992年)がたっています。
そこで、あらためて「顧客志向」について私の経験も含め、自分なりに考えていることを整理してみようと思います。
顧客志向のはじまりーーそれは1980年代
それは一体いつから始まったのでしょうか。
私は実務家であって学者ではないので、マーケティングの通史・学説史や定義には関心はないのですが、考え方自体はすでに1960年代にはあったと、ジャック・トラウトとアル・ライズ、セルジオ・ジーマンなども語っています。
もっとも、先般、ドラッカーのマーケティングのエッセンスをまとめた『ピーター・ドラッカー マーケターの罪と罰』の書評でも書きましたが、ドラッカーは1954年(原著)の『現代の経営(上・下)』(邦訳:1965年ダイヤモンド社)で、マーケティングは顧客起点で考えるべきことをすでに説いていました。
米国で顧客志向がとくに言われはじめたのは、記憶では1980年代以降です。
それについて、レジス・マッケンナ著『ザ・マーケティング〜「顧客の時代の成功戦略』(原題:Relationship Marketing/1992年ダイヤモンド社)によれば、80年代にトム・ピーターズやJ・D・パワーが「顧客の満足度」を強く提唱したことが大きな要因とのこと。
ほかにも、いくつかのマーケティング関連の著書でも80年代以降、この考え方がビジネスの中心になったことが語られています。
この3年後(1995年)、ドン・ペパーズとマーサ・ロジャーズによる『ONE to ONEマーケティングーー顧客リレーションシップ戦略』(ダイヤモンド社)が刊行されました。
マーケティングコミュニケーションにたずさわる人であれば、このOne to Oneマーケティングという考え方や言葉を聞いたことがない人はいないのではないでしょうか。
発売当時、米国だけではなく日本の広告業界でも随分と話題となっていました。本書がきっかけとなり、「顧客シェア」、「LTV(Life Time Value=生涯価値)」などの言葉が知られるようになりました。
この本が発売されたとき、そのころ一緒に仕事していた外資系の広告代理店の人から、ドン・ペパーズが来日してセミナーを開催するので、参加費(確か数万円)は負担するのでペパーズのセミナー内容についてレポートを提出して欲しいと依頼されたことをいまでも覚えています。
こうした状況は、日本もほぼ同様でした。
むかしから消費者志向という言葉は時折目にしていましたが、80年代半ばには広告が効かないといわれるようになり、大衆ではなくいまでは死語辞典に掲載される「少衆」だとか「分衆」などという言葉がマーケターや広告代理店の人間だけではなく、メディアでも頻繁に取り上げられている状況でした。
顧客志向の進展
先述したレジス・マッケンナの著書は、私が所有しているもっとも古いマーケティング書で、著者はアップル社やインテルなどのハイテク・マーケティングコンサルタントを務め、フィリップ・コトラー教授も一目おいている人です。
冒頭「1990年代は顧客本位の時代となる」の書き出しではじまる本書は、単に顧客とのリレーションシップだけではなく、マッケンナの言葉による関係者集団(インフラストラクチャー)との関係性が重要であると提唱しています。
なお、同書でもポジショニング戦略の重要性が説かれています(3〜6章、8章)。
久々に本書を繙くと、1992年の刊行時、私は本書に書かれている内容をすべて理解はしていなかったでしょう。扱われている事例は古いですが、これが四半世紀も前に書かれたとは思えないほど洞察(予見)に満ちていることに驚きます。
今日では、“あたりまえのこと”が書かれていますが、そう言い切ってしまうのは簡単です。
しかし、書かれている内容が読む人にとって既知のことであっても、読む人によってはそこに気づきや示唆などを見いだし、古い本であっても今日でもすぐれたものとして本が読まれるということがありうるものです。
そうしたビジネス書というのは極めてまれであり、今日こうした本を再度読むことは、その考え方や洞察力をどのように自分自身のものにできるのか、という視点からも大いに参考となります。読書とはそのようなものです。
原著は、2003年にアップデートされたペーパーバック版として新刊が発売されましたが、その邦訳が刊行されていないのがとても残念な本でもあります。
できれば、海と月社がその新訳を刊行してくれないかと、実は密かに願っています。
さて、90年代に入り、コンパック社(2002年、ヒューレット・パッカードが買収)を嚆矢としたPCの低価格化は、一般消費者へのPC所有の普及へ拍車をかけました。
95年、Windows95の登場とともにインターネットが一般でも利用できるようになり、マーケティングはCRM(顧客関係管理)として顧客志向をより加速させるようになります。
さらには、オンラインショッピングの登場で購買履歴、レコメンデーション技術、さらにはソーシャルメディアを活用したアクティブサポートとして進化し、さらにテクノロジーの一層の進展はビッグデータ、MA(マーケティングオートメーション)へと発展してきたことが、顧客志向のマーケティング戦略にさらに拍車をかけたというのが、私が実務経験の中で実感してきたことです。
21世紀ーーマーケティングコミュニケーション変容の常態化
ところで、ポジショニングについて、ちょっとしたエピソードがあります。
私は根っからのMacユーザーなのですが、10数年、元アップル・ジャパンの友人とMacの日本でのポジショニングについて話しをしたことがあります。
Macはシンプルなユーザーインターフェイス、美しい表示画面など優れているにもかかわらず、一般ユーザーには誤解があるではと私は語りました。
その誤解とは、Windows全盛の時代にあって、Macを触ったこと(経験)がない人たちには、Macがクリエイティブな仕事や職業の人たちに人気が高いことで、かえって一部のクリエーターや特殊な仕事をする人たちが利用する難しいコンピュータだと思われているのではないか、ということです。
その友人の返答は「実はそうなのです。」とのことでした。
これなどは、ポジショニングは、企業が戦略的に作り出すことと市場(消費者)との関係性が変化することに対し、常にポジショニング戦略の調整が必要だということを実感しました。
セルジオ・ジーマンは、今日のこうした市場環境を「消費者民主主義」という言葉で表現しています。
そうした背景をうけて、市場や顧客へのマーケティングのアプローチ手法も多様となりしかも学際的にも進展しています。ちょっと思いつくだけでも以下のような言葉を耳にあるいは目にすることも多いでしょう。
- 「ジオロケーションマーケティング」…利用者の位置情報を活用する
- 「エスノグラフィックマーケティング」…人類学の手法を応用する
- 「ニューロマーケティング」…脳科学を活用する
- 「行動観察マーケティング」…本人の意識していない潜在意識に潜む事実を引き出す
- 「インバウンド(コンテンツ)マーケティング」…消費者自身に発見してもらうために、戦略的に.有益なコンテンツをネット上で提供する
- 「アンバサダーマーケティング」…ソーシャルメディアで、製品やサービスを自発的に紹介してくれる熱烈ファンを活用する
これらの中で、特に日々のコミュニケーション業務においてかかわりが深いのは「インバウンド(コンテンツ)マーケティング」と「アンバサダーマーケティング」でしょう。
前者については、「2つのマーケティング新潮流に思うーーインバウンドマーケティングとゲーミフィケーション」というタイトルで記事にしました。
また、後者についても、「指令!「愛」を獲得せよーーアンバサダーマーケティングは21世紀的な囲い込み戦略か(本論)」を執筆しました。その中で、顧客が囲い込まれていると意識することがないように配慮することがもっとも重要だと述べました。
ご興味のある方々には、あわせてご笑覧が叶えば望外の喜びです。
今後とも、テクノロジーの進化とともにマーケティングコミュニケーションの変化が不断に続くでしょう。
2000年代の前半と後半、2010年以降と5年単位で考えてもマーケティングコミュニケーションは長足の進歩を遂げていますし、今後も私たちが想定していなかったテクノロジー、ツール、コミュニケーション手法が現れるかもしれません。
御年86歳。コトラー教授は、今なお変化し続けているマーケティングへの探究心は衰えていません。
昨年(2016年)末、米国で発売されたコトラー教授の最新刊“Marketing 4.0: Moving from Traditional to Digital”も、年内には邦訳が刊行されることでしょう。
2010年に発売された前著『フィリップ・コトラーのマーケティング3.0』(朝日新聞出版)から7年、すでにマーケティング4.0についてメディアなどでも情報がいくつか散見されていますが、コトラー教授自身による最新のマーケティングの到達点ともいえる新刊が読める日が待たれますね。