今では、当たり前のようにメディアで目にする「インバウンドマーケティング」という言葉、それはこの書からはじまりました。
本書は、2010年に原著が刊行され、翌2011年には邦訳が出版されました。
この増補改訂版は、初版の4年後、つまり2014年に発売されたことは知っていたので、邦訳もすぐに発売されるだろうと思っていたのですが、その邦訳が2017年に入りようやく刊行されたので今回は取り上げることにしました。
すでに初版を読んでいる人がいるかもしれませんが、初版とこの【増補改訂版】の違いなどを中心にご紹介をします私がこの言葉を最初に耳にしたのはもう7年前(2010年)のことでした。
その翌年(2011年)、インバウンドのセミナーが東京都内で開催されることを聞きつけ参加しました。私の知るかぎり、このテーマで開催された国内初のセミナーだろうと思います。
出席者は20名ほどで、マーケター、広告代理店関係者、ウェブ制作関係者が主だったように記憶しています。その内容や気づきは、当時に知人が開設したPR関係者のブログメディアで記事にしたことがあります(現在は閉鎖)。
そのとき、インバウンドマーケティングに関する本が刊行されていることを知り、早速、本書の初版を購入しました。
その2年後(2013年)、ITメディアのマーケティングブログの記事で、私は以下のように述べました。
「インバウンドマーケティングは、ソーシャルメディアが発達した今日だからこそ、マーケティングコミュニケーションの発想や視点の中軸に位置づけられるべきものである。
否、ソーシャルメディア時代には、むしろインバウンドで考え行動しなければならないということなのだ。 これこそは、まさしく従前のマーケティング発想とは180度視点を転換しなければならない。」
さて、今回の【増補改訂版】は、メインタイトルは同じですが副題が変更されています。
初版では「見込み客を引き寄せ、永久顧客にする次世代のマーケティング戦略」(原著:Get Found Using Google, Social Media, and Blogs)だったものが、この最新版では「オンライン顧客を惹きつけ、招き、喜ばせるマーケティング戦略」(原著:Attract, Engage, Delight Customers Online)へと変更されています。
HUB SPOTのファウンダーが書いた本
本書は、現在ではインバウンドマーケティングの統合管理ツールを提供する企業として知られているHubSpotの共同創設者(ブライアン・ハリガン、ダーメシュ・シャア)が共同執筆した本です。
二人は、MIT(マサチューセッツ工科大学)在学中に知り合いました。卒業後、ハリガンはベンチャー企業でマーケティング戦略担当者、ダーメシュはMITで卒業論文を執筆中でした。
両者は、それまで有効だった「最高の」マーケティングがもはや有効ではなくなりつつありむしろ破綻している、という問題を抱えていました。
そうした点では、3月の書評で取り上げたイタマール・サイモンソンとエマニュエル・ローゼン著『ウソはバレる〜「定説」が通用しない時代の新しいマーケティング』(ダイヤモンド社)の著書たちと状況がとても似ています。
その二人も、従来のマーケティング定説や定石への信頼が揺らいだことがきっかけで、共同で執筆することになりました。
その後、ブライアン・ハリガン、ダーメシュ・シャアは、インバウンドマーケティングのソフトウェアプラットフォームを開発する企業HubSpotを設立することになります。
増補改訂版の邦訳が、なぜこれほど遅れたのか?
初版原著は翌年には邦訳が発売されましたが、この増補改訂版は原著刊行から邦訳まで3年もの間が開いています。
版元も訳者も前回と同様なのですが、この増補改訂版では「監訳者まえがき」も「監訳者あとがき」も一切ないので、なぜこれほど遅れたのかの理由については不明です。
ただ、その後、2014年ごろからインバウンドマーケティングという言葉が、特に海外旅行客の呼び込みという観光業界を中心として頻繁に使われるようになり、初版の売れ行きに影響するようになったことが、この増補改訂版を発売することの遅れの一因としてあるのかもしれないとは思いますが、出版社や翻訳者たちの諸事情もあるのでしょう。
さて、その原著初版が執筆された後にも、Instagram、FourSquare、Google+、SnapChat、日本ではほぼ無名ながら米国ではfacebookのトラフィックを一時抜き去ったソーシャルプラットフォームとして話題となったStumbleUponなど、続々と新しいソーシャルツール(プラットフォーム)が誕生しています。
手元にある初版本の目次と比較すると、この増補改訂版ではPart2に「8章 ビジュアルコンテンツ〜一枚の絵は一千語に匹敵する」、「9章 コンテンツとしてのソフトウェア・ツール」、巻末にはBONUSとして「起業家のためのマーケティング準備ガイド」が追加されています。
そのほかにも、初版からデービッド・ミーアマン・スコットによる序文も増補改訂されています。
インバウンドマーケティングの増補改訂版について
8章では、ここ数年よく耳にする「ブランドジャーナリズム」について語られています。
これは「企業はプロのジャーナリストを雇用し、企業の見込み客が関心を持つであろう業界やその他の話題について報道させるようになる」ことです。
こうした傾向は、米国では旧来の印刷メディア(新聞や雑誌など)の編集者や記者などがオンラインメディア、なかでもソーシャル系サイトに移籍している傾向と符合しています。
もともと人材の流動性の高い米国ビジネス界ですが、大手から新興メディアへ、逆に新興から大手メディアへ、大手からの独立メディアを起業するなどの話題には事欠きません。
日本では、そうした事例はまだ数多くはありませんが、私の友人・知人には実際に3〜4人ほどいます。中でも東洋経済オンラインの編集長だった佐々木さんがソーシャルニュースメディア“NewsPicks”へ電撃移籍した件は、私も驚きましたがネット上でもずいぶんと話題になったのでみなさんもよくご存じだろうと思います。
9章では、ソフトウェア企業におけるインバウンド戦略について語っています。
ここでは、無料ツールの場合、少人数のベータ版を一部のユーザーを対象にツール提供というよくあるアプローチ方法ではうまくいくことはなく、サービス開始の前に業界のライター(ブロガー含む)やオピニオンリーダー(インフルエンサー)たちに実際に使ってもらい、それを記事にしてもらうことが重要で効果的だということです。
これなどは、25年(1992年)前にレジス・マッケンナがその著書『ザ・マーケティング〜「顧客の時代」の成功戦略』の中で、「関係者集団(インフラストラクチャー)」とのリレーションシップ(つながりや関係作り)の重要性を指摘していたことと同様の考え方です。
BONUSでは、起業や新規事業の立ち上げる際のキーポイントを語っています。
これは著者たち長年の経験から、準備または事前にやっておくべきこと(「マーケティングの手順」、「会社名決定する際の18の手順」)がいくつか紹介されています。
それらはすべて網羅しているわけではないのですが、初期段階において実務上やっておくべきことがピックアップされています。
「見つけてもらう」ためのマーケティング戦略
インバウンドマーケティングを一言で説明すれば、その基本は「伝達の種類や仕方を問わず、マーケティングや販売活動に関する前に、見込み客に価値を提供し信頼関係を築くことである。」という言葉に尽きます。
つまり、実際の製品やサービスの提供を開始する「前段階」から、インバウンドは行われるべきだということです。
自社製品やサービスそのものだけについて伝えるのではなく、人々に語り伝えたくなる情報や内容を提供するということです。
そうした情報を消費者に提供するために、半分はマーケター、半分は出版社として機能することを目的に、社内に「コンテンツ工場」を持つことを提唱しています。
また、もしマーケティング担当の人材を採用する場合、伝統的マーケティング一筋ではなく、ライターやジャーナリストの採用することも奨めています。
今年2月、レベッカ・リーブ著『コンテンツマーケティング27の極意〜編集者のように考えよう』(翔泳社)を取り上げましたが、彼女も異口同音に述べています。
本書は、インバウンドマーケティングの考え方や望む姿勢、ノウハウが語られていますが、初版の「翻訳者あとがき」でも語っているように「本書に書かれていることは、はっきりと言ってそれほど奇抜なことはありません。(中略)言うなれば当たり前のことをコツコツとやっていく、ある意味とても地味な仕事です。」
私も率直に言って、本書は今日のマーケティングコミュニケーションにおいて、基本的には理解しておくべき原則など、入門者向けの内容であり深い洞察が語られているわけではないと思います。
したがって、すでにインバウンドマーケティングについて別の本を読んでいてよく理解している、あるいはそれに基づいて運営(実践)している人に本書は不要でしょう。
また、初版を読んでいる人たちも、この増補改訂版をわざわざ読む必要はないだろうと個人的には感じます。
ただし、人はつい忘れているようなこともあるので、そうした場合にはPart3「訪問者をリアル顧客にする方法」、Part4「よりよい意思決定のために」の2つのパートだけでも再読する意義があるでしょう。
加えて、そうした視点(姿勢)で本書を再読すれば、実務経験を通じて得た知見について確認できますし、さらには確信へと変わることでしょう。
読書の意義と価値とは、そうした点にあります。
逆に、本書を未読あるいは言葉は知っているし“なんとなく理解している”という人たち、これからインバウンドマーケティングに取り組もうとしている人たちには、その基本となる発想や視点、押さえておくべきポイントなどが米国企業の事例でいくつも紹介されていますので、それらからヒントや示唆を多く得るあるいは引き出したり学んだりすることができるでしょう。
本書は、見た目はそれなりの厚さ(350P以上)がありますが、行間や文字間もかなりあるので意外と短時間で読めると思います。
これは蛇足なのですが、本書の中で一番印象に残ったのは、MIT経営戦略のアーノルド・ハックス教授が語ったという「競合他社に注目しろ。だが、彼らに追随していけない。」という言葉です。
これこそ、まさにポジショニング戦略の考え方の要諦であると感じます。