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「自己PR」という言葉、もうヤメませんか

みなさんは、普段「自己PR」という言葉をなにげなく口にしていませんか

この言葉は、いつごろから誰が使い出したのかその出処は不明なのですが、この言葉のもつ“違和感”が日本における広告・宣伝とPRの役割、機能、違いなど曖昧な実情と関係しているように思っています。

つい先日、facebookが「Branded Content(ブランドコンテンツ)」機能を刷新したニュースがありましたが、「ブランドコンテンツ」を示すタグに「Paid(日本の環境ではPR)」と明示するとのことで、英語で「A with B – Paid」と表示の場合、日本では「AさんはBさんと一緒です – PR」と表示されるということです。

Paidが、日本では広告という表記ではなくPR(Public Relations)という表記なのです。

PR企業の方々は、なんとなく違和感を感じた方もいることでしょう。

つまり、このような表記が象徴的なように、PRビジネスに対する適切な理解を阻害している一因のような気がしているのです。

今回は、これについて私の感じていることについて書きます。

ただし、これから述べることはあくまでも私見であることをご寛恕いただき、これと異なる見解があることも、はじめにご承知を願いたく申し上げます。

顧客とつながることのなかったPR

人形2つ

私自身、広告代理店の傭兵(下請け)マーケターをしていた時代にも、企業のPR部門やPR会社の人たちとはご一緒したことはありませんでした。

マーケティングコミュニケーションのプランを提案するときにも、PRというのはまったく視野には入ってきませんでしたし、プランの施策に盛り込むように求められたこともありません。

その当時、PRというと新聞などメディア関係者向けに報道資料(プレスリリースやプレスキットなど)の作成、経営幹部の雑誌のインタビュー時の対応、さらには社内報を制作して関係者(株主、得意先、子会社や下請け企業など)などへ配布するという裏方的なイメージで、メディア関係者、社内の人たちやステークホルダーに接することはあっても、直接的に市場や顧客たちにメッセージを届けるという役割(機能)を組織から求められていないのではないか、というような感じをもっていました。

顧客とのコミュニケーションは、もっぱら広告・宣伝、セールスプロモーションの両部門が担当すべきことで、すべてではないにしてもPR部門にはそうした役割も権限も与えられていなかったのかもしれません。

ただ、そうした業界事情について私は詳しくはありませんし、昨今では随分と違っていることでしょう。

前回の「酒は新しい革袋にーー未来の職種は新しい言葉(役職名)で作られる」の中で、「総務部広報課」という人と名刺交換したことがあるエピソードについて語りました。

IRなどは、いまでも総務部がその業務を担当(予算も含め)しているところが多いのかもしれません。

さて、そうしたPR業務なのですが、冒頭に述べた「自己PR」という言葉への“違和感”には、3つの理由があるのではと個人的には判断しています。

 

第一の理由:慣用句としての「自己PR」

女性

第一に、自己PRという言葉自体は、就活などの面接場面でもっとも頻繁に使われています。就活情報メディアでも、どのように効果的な自己PRをすべきか、そのノウハウやテクニックを伝授しています。

また、今日では多種多様な社外の集まりがあり、そうした場でも自己紹介だけではなく自社あるいは自社製品やサービスについて“PR”できる機会が多くあります。

しかし、これらは自分あるいは自社製品やサービスについて、そのセールスポイントをプレゼン(アピール)する行為なのですべて自己宣伝です。

「自己宣伝」に努めているわけなのですが、この言葉ではいかにもこれからみなさんへ「売り込みます」という姿勢や印象を与えてしまうので、自己PRという婉曲的な“柔らかく包んだニュアンス”の言葉となって定着したのではないだろうか、と私は想像しています。

では、これに代わる適切な表現とは何でしょうか。

それは「自己アピール」です。

実際にこの言葉を使っている人もいますが、それは私のような疑念からではなく、その人がごく日常の言葉として口をついて出ているのでしょう。

この言葉自体、聞いた瞬間は「自己PR」とそれほど違和感がありません。それに「アピール」は「訴求する」という意味なので、これ以上に最適な言葉はないでしょう。

第二の理由:ビジネス慣習における問題

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国内の多くの広告代理店ではPR部門を別会社(系列子会社)として持っており、マーケティングコミュニケーション戦略の一環としてPR施策を提案することもあり、企業は広告と同じようにそうした代理店に“PR込み”で発注することも多いでしょう。

また、PR企業が依頼を受けて業務として実施する場合、広告代理店のプラン範囲内の施策に沿う形での業務なので、代理店のイニシアティブ下で業務を “こなさざるを得ない”ということでもあり、クライアント企業側もPRを広告と同列あるいは広告よりコストをかけないで広告できる手段という考え方が意識としてあったのでしょう。

それにより、広告の一端を担って(サポートして)いるという意識から広告的な感覚でPRを認識しきた状況が長く、そうした中でPRの役割とはそもそもなんなのか、広告とはどこがどのように違うのか、というマーケティングコミュニケーションにおいてアイデンティティが形成あるいは確立されにくい状況が続いてきたのではないか、と私の経験から推測しているのです。

ビジネスに携わっていた人たちの認識がそうであれば、一般社会ではなおさらPRについての認識不足は否めないのは容易に判断できます。

もちろん、1960〜70年代よりPR専業のいくつかの企業では、代理店とは別に明確なスタンスを保ち、独自にプランを提案して適切なPRを実施していた“歴史と伝統ある”PR会社があった事実も今日では承知していますし、当時からそれを十分に理解しているクライアントも存在していたことでしょうが、そのころの私は知るよしもありませんでした。

詳しく調べたわけではないのですが、国内の広告代理店数とPR専業企業数を比べれば、前者の方が数も圧倒的に多いです。

もちろん広告は四大媒体だけではなく、交通広告や屋外広告(いわゆるOOH)、インターネット広告から求人広告まで実に多種多様にあります。とりわけ四大媒体は、媒体購買費用そのものが高価でこの扱い高の比率が大きいほど、広告会社の規模も大きくなります。

日本のPR会社の売上トップは電通パブリックリレーションズですが、米国ではPR専業(独立系)のEdelmanというのが、いかにもそうした日米の業界事情を象徴しています。

そういう意味では、広告は媒体販売代理業なのでスケールビジネスですが、PRはそれとは異なります。

つまり、巧みに「メディア(第三者)をして語らしめる」ことで社会(人々)との好感度(信頼や信用)を醸成し関係性を構築することが本来の役割なのです。

第三の理由:教育(学習)の問題

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欧米それも米国では、仕事でコミュニケーションビジネスを志望している学生たちは、授業でマーケティング戦略、コミュニケーション論、メディア論、広告論・PR論、ジャーナリズム論から、さらには社会心理学などまでも学ぶ十分な機会があります。

将来、メディア(新聞や放送業界、出版業界など)業界、広告業界あるいは企業のマーケティングコミュニケーション部門などへ進みたい人たちはそこでのキャリアを念頭に置き、こうしたコミュニケーション分野における基礎知識として必要だという、極めて明確な目的意識があるからです。

これに加えてMBA取得を目指すなど、実に合理的かつ的確にキャリアで必要な素養を学ぶ環境が用意されています。

一方、日本ではそうした学生はまれでしょう。ジャーナリズムやPRなどを学べる大学自体、いまでもその数は非常に少ないという問題もあります。

そうなると、個人的関心などから自分で自主的に独学するしかありません。

PR業界は真に発展しているか

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90年代半ば以降、テクノロジーの発達がコミュニケーション環境を劇的に変えました。マーケティングコミュニケーション戦略の考え方(フレームワーク)も多種多様に発達し、新しいマーケティングに関する考え方や理論が次々と登場しました。

テクノロジーの発展と経済のグローバル化が顧客志向を、さらにはCRMの発達を促し、ソーシャルメディアの登場によりPRの重要性が急速に高まり、業界が大きく成長するようになってきたのはここ数年です。

プレスリリース配信代行会社も含め、2000年代に入ってからPR企業数が増加していることからも、そうしたことは推察できるでしょう。

今日の就活でも、PR業務に注目が集まり人材の確保や業界の発展にとっては喜ぶべきことで、最初からPRを仕事として志望する人たちが増えているようでそれは喜ばしい傾向です。

しかし、業界的な問題も抱えています。それはブログ、SNSなどソーシャルメディアで度々発覚するステマ(ペイパーポスト、ノンクレジットによるアドバトリアルなど)です。

これは、テレビ番組のヤラセと同じで、何度もバレているにもかかわらず懲りずに繰り返されます。そういう点では、テレビ局(と番組制作会社)と同類でかならずほころびが出ることは、先の書評『ウソはバレる〜「定説」が通用しない時代の新しいマーケティング』でも書きました。

また、最近ではDeNAの医療情報系まとめサイト「WELQ(ウェルク)」で、不正確な記事、著作権を侵害していることが芋づる式に見つかり閉鎖に追い込まれました。

こうした問題に適切な対策を施さなければ、今日まで培ってきたPR業界の信頼を損ねますし、業界の一層の発展を望むことに好ましい影響とはならないでしょう。

私はブログを開設して約10年(ソーシャルメディア歴は約13年)。

地道にブログを継続してきたこともあり、ブロガーとしても少しは認知されているおかげで、様々なブロガーイベントの招待に与り貴重な経験をしてきました。

こうしたメディア関係者もしくは同等の扱いで参加したイベントでの体験についてはほとんどを記事にしていますが、疑問に感じるテクノロジーサービスがあれば率直に遠慮なく書いてきました。

また、それら記事執筆による金銭的対価を受けたことは一度もありません(ただし、執筆依頼による原稿は別です)。

その理由は、今日では「書く側」にいる私が、かつて電子書籍企業の在籍時に「発注者側」にいたときの“苦い体験”があるからです。

いまこそ「自己アピール」という言葉を

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さて、ほとんどの人たちが「自己PR」という言葉を、日常的に疑問に感じずに使っていることについて、上記の3つの理由がこの言葉を許容してきたのではないかと、ここまで私見を述べてきました。

これは私だけではなく、PR業界全体がこの言葉がもつ違和感について、時間を要しても業界団体がむしろ率先してこれに代わる言葉を企業や社会にアピールして是正すべきだろうと、個人的には感じています。

このブログを読んでいただいたみんさんは、少なくとも「自己PR」という言葉はもうヤメて、これからは「自己アピール」を使うようにしませんか。

そして、だれもがこの「自己アピール」という言葉が、なにげなく口をついて出てくるような状況になることを願っています。

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梅下 武彦
コミュニケーションアーキテクト(Marketing Special Agent)兼ブロガー。マーケティングコミュニケーション領域のアドバイザーとして活動をする一方、主にスタートアップ支援を行いつつSocialmediactivisとして活動中。広告代理店の“傭兵マーケッター”として、さまざまなマーケティングコミュニケーション業務を手がける。21世紀、検索エンジン、電子書籍、3D仮想世界など、ベンチャーやスタートアップのマーケティング責任者を歴任。特に、BtoCビジネスの企画業務全般(事業開発、マーケティング、広告・宣伝、広報、プロモーション等)に携わる。この間、02年ブログ、004年のSNS、05年のWeb2.0、06年の3D仮想空間など、ネットビジネス大きな変化の中で、常にさまざまなベンチャー企業のマーケティングコミュニケーションに携わってきた。