ジャック・トラウトは、日本の読者に向けた本書の序文において以下のように語ります。
「我々がこれまでの著書の中で一貫して主張してきたことは、今日の超競争時代では、従来の顧客志向のマーケティングはもはや機能しなくなり、成功を勝ち取るためには競争志向にならなければならないとういうことだ。
しかし、市場の大半が選択肢で溢れている日本においても、未だ多くの人の考えが顧客志向であることは残念でならない。」
上記の言葉は、読む人によっては虚を突かれたようであり、さらに別の人たちには挑発的に違いないでしょう。
なぜ、みなさんは必死になって様々なマーケティング戦略を考え、それに基づく多種多様なコミュニケーション施策を続けているのでしょうか。
ところで、書店のマーケティング関連のコーナーに出向くと、コトラー教授を別にすればこの二人の著書が最も多いことがわかります。
体系的ではないしアカデミックでもないとの一部の批判はありますし、コトラー教授に比べれば知名度は低いでしょうが、この二人の著作はマーケティング関係者にとっては重要ですし、これほどまでに邦訳されているということは、二人の著書を刊行すれば必ず売れるということの証しなのでしょう。
このシンプルなタイトルの本は、マーケティングについて再考あるいは再認識するために、またとない機会を提供してくれることをお約束します。
マーケターにとっての教科書ーージャック・トラウトとアル・ライズ
ジャック・トラウトとアル・ライズ。
前者の代表作は、Differentiation(日本では「差別化」と訳されている)というマーケティングにおける永遠のテーマを扱った『独自性の発見』。
後者の代表作は、こちらも普遍的な「絞り込み」に関する『フォーカス!<2005年版>』。
また、この二人はいくつかの共著を著していますが、その代表作である『ポジショニング戦略[新版]』には、フィリップ・コトラー教授が「革命的コンセプト」と序文を寄せています(ほかの共著は『マーケティング戦争』、『売れるもマーケ 当たるもマーケ―マーケティング22の法則』)。
各々の単著、共著ともに、世界のマーケティング業界においては教科書あるいはバイブルとして読み継がれています。
本書の著書である丸山謙治という人を私は今回で初めて知りました。
丸山氏は、ジャック・トラウトの友人であり、米カリフォルニア大学バークレー校エクステンション認定マーケターで、現在では民間企業の新規事業部門の責任者として業務にあたる一方、セミナーや社員研修の講師も務めるという実務経験が豊富な人です。
その丸山氏が、ジャック・トラウトとアル・ライズのマーケティング理念(考え方や戦略)について、二人の数多くの著作の中からそのエッセンスを抽出し、日本の事例も適宜交えながら著したのが本書です。
マーケティングとは顧客志向なのか?
本書の著者は、私と同様にマーケティング仕事(主に実務)に携わって30年ということです。そうした意味では、私にとってはマーケティング激動期をともに過ごしてきた“同志”ということができます。
私は時々「マーケティングとは何でしょうか」と質問をすることがあります。
「マーケティングとは何かというのは時代によって異なるので、簡単に答えるのは難しい」とほとんど皆が一様に返答をします。
確かに、世界のマーケティング研究の中心的機関といわれている全米マーケティング協会(AMA)による定義は時代によって常に更新されてきましたし、日本マーケティング協会(JMA)もそれは同様です。
しかし、それは「定義」で答えようとしているから難しいのです。
これまでにも、私はITmediaマーケティングブログ(ハイ・コミュニケーション私論)、個人ブログ(The Blog Must Go On)などで、マーケティングを定義ではなくその本質から以下のように繰り返し述べてきました。
・「マーケティングとは時代や状況による定義にかかわりなく、「市場での競争優位性を確保するためのグランドデザイン(全体戦略)設計や構築」と答える。」
・「本質とはなにか。全てのマーケティングコミュニケーション活動は、いわゆる「差別化」と「競争優位性」のために実行されている。」
私自身のこうしたマーケティング思考の根源には、ジャック・トラウトとアル・ライズに負うところが大きく、マーケティングについての考え方も常に一貫しています。
そもそも競争や競合のない市場などは存在しません。むしろ、今日ほど競争が激化している時代はないでしょう。
現今のマーケティングで顧客志向は常識あるいは一般的な考え方で、これに異を唱える人もおそらくいないでしょう。
しかしながら、顧客のため(顧客志向)、CRM、様々な慈善的な社会貢献活動(文化支援など)やCSRの広報活動は、結局どのような「綺麗ごと」を並べてみてもそれは自社のマーケティング活動を有利に導くための戦略や施策であり、すべては自社あるいは自社の製品やサービスのために遂行されていることは疑う余地がないのです。
「アンチ顧客志向」ではなく「ポスト顧客志向」
本書での主張を一言で言えば、今日では常識とされている顧客志向はもはやマーケティングの“切り札”ではありえないということです。
ジャック・トラウトとアル・ライズは、すべての企業が顧客志向で横並び状態の現在、それではどのように自社の競争優位性を確立あるいは獲得できるのかと問いかけます。
代表的な事例と上げられているのが、航空会社の顧客志向のマイレージプログラムです。このプログラムを最初に導入したのはアメリカン航空ですが、その後は他社も追随したことであっという間にコモディティ化してしまい、その時点ですでに独自性も競争優位性も失われてしまい、どこの航空会社でもあって当然のサービスとなったのです。
上記の事例からもわかる通り、顧客志向において明確にポジショニング(独自性やブランディング)を確立できなければ、それは競合他社の追随(模倣)を容易に許すことになり、市場での競争優位性を獲得することはできないと語ります。
ここで誤解すべきでないのは、二人が顧客志向という現在の常識的マーケティング思考がダメだとか止めるべきだという「アンチ顧客志向」なのではなく、それはすでに限界点に達しておりそれだけでは不十分だという「ポスト顧客志向」を唱えていることです。
二人は、今日の情報化社会においていかに顧客との絆が重要かも十分に承知しています。
つまり、どこの企業も顧客第一主義を金科玉条に掲げてそれに固着して同じようなマーケティング施策を実行すれば、その施策自体が市場においては均質化してしまい有効性を発揮しえないということです。
こうした顧客を満足させるだけの戦略では、市場での競争に勝つことはできませんし、この例に限らずほかにも有効性を損ねた顧客志向の戦略は枚挙に暇がありません。
また、今日の市場において、競合他社を分析し知るだけでは競争に生き残れません。業界や市場を刷新してしまうような製品やサービスは、業界の外部から突然にやって来ます。
そうした創造的破壊者=イノベーターにおける最近の代表例は、Apple社のiPod、iPhoneでしょう。
前者は、それまでウォークマンに代表される携帯音楽機器や楽しみ方を、後者は携帯電話の価値を一変させてしまい、私たちのライフスタイルそのものを変えてしまいました。
しかも、カメラ機能を搭載してその性能が向上するにつれ、日本が精密機器分野では唯一競争優位性を保っていたデジタルカメラやビデオ業界の市場まで浸食してしまいました。
また、ダイソン社のサイクロン掃除機は、日本キャニスター型掃除機を徹底して研究したジェームズ・ダイソンが作り出した製品で、日本の掃除機メーカー各社は誰も予想すらしていなかった黒船でした。
今日では、国内メーカーもダイソン社に追随(模倣)してサイクロン式掃除機を主力商品にしていますが、ダイソン社のブランド力は強力です。
それは「吸引力が変わらないただ一つの掃除機」という同社の広告コピーが秀逸です。
掃除機購入の性能の指標である吸引力(「吸引仕事率」という)に限れば、国内メーカーの方がむしろ優れた製品を出しています。
しかし、ここがダイソン社のマーケティングの巧みさに感心するところなのですが、吸引力という機能だけでは分が悪くとも(優位性で劣っていても)、その吸引仕事率が落ちない、常に一定の状態に保っている製品はダイソン社だけだと主張していることです。
これなどは、まさにポジショニング戦略(独自性)の手本であり、激しい競合に勝つ見事なマーケティング戦略といえるでしょう。
ジャック・トラウト、アル・ライズの主張は、自社の製品やサービスにおいて競争優位性を作り出し、さらに維持し発展させるためには、ポジショニングやフォーカス(絞り込み)を徹底的に追求し、独自性(例えば、これまでにないカテゴリなど)を創出することこそ、マーケティングにおける重要なファクターであり市場で競争に勝つために必要な発想や視点であることを再認識させてくれます。
コトラー教授のマーケティング戦略についての解(概)説書やガイドブックをいくつも刊行されていますが、ジャック・トラウト、アル・ライズに関してはこの書が初となります。
本書は、二人の様々な著書からのエッセンスが集約されており(特に1〜3章)、これから彼らのマーケティング思考や戦略について学ぼうという人たちには格好の入門書であり、すでに二人の著書を読んだことがある人たちにとってはマーケティングの本質をあらためて考えてみるための最適な書といえるでしょう。