原著は2022年、邦訳は2023年の新刊です。原題は“The Human Element:Overcoming the Resistance That Awaits New Ideas” で、そのまま訳せば「人的要素(性質・本質):新しいアイデアを待ち受ける抵抗を克服する」です。
本書は米ウォールストリート・ジャーナルのベストセラー書で、フィリップ・コトラー教授も下記の推薦文を寄せています。
“新しいものを取り入れようとする消費者の欲望を抑え込む4つの主要な「抵抗」を突き止めた本書は、マーケティングの世界に大きな貢献をしている。本書は、これらの「抵抗」を予測する方法を示すだけではなく、新しいことを始めようとしているなら必ず読むべき本だ。”
抵抗勢力という言葉は、イノベーションと同じくらいビジネスや政治においてよく耳にします。変化に抗って受け入れようとせず、現状維持に固執する人たちを示す言葉です。
しかしこうした抵抗勢力は、LGBTQ、働き方改革などの社会的課題から、教育委員会やPTAなどの教育現場、町内会などの地域コミュニティなど。また保守かリベラルかの主義主張、男女の違い、年齢や世代も問わず、今日では日常的にどこにでも存在しています。
人は革新的なことであればあるほど、それを実行する方法を探すよりできない理由をあげるほうが簡単なことは、誰でも思いあたるでしょう。新しいことや変化を拒むあるいは受容したくない、しようとせずにこれまでのやり方を変えたくない人たちは、あらゆる組織と集団に存在しています。そうした抵抗は、その人の心性に原因があります。
それは善し悪しの問題ではなくその人の価値観であり、長らく慣れ親しんでいればその分だけ変化を受け入れるためには時間も要します。そうした抵抗について人間心理を分析し、理解してどのように対処するべきかを教えてくれるのが本書です。
著者たちについて
本書は、ビジネスパーソンと研究者による共著です。
ロレン・ノードグレンは、ノースウエスタン大学大学院の行動心理学の教授。新しいアイデアの採用および妨げる心理的作用や要因についての研究者です。
企業組織の変革アドバイザーも務め、人や組織の行動を変化させるプロセスを「行動デザイン」と呼んでいます。デイヴィッド・ショルタンも、同じくノースウェスタン大学大学院で、イノベーションとアントレプレナーシップの教鞭を執っていますが、これまでにコンサルティングファーム、スタートアップ経営、デザインファームやベンチャーキャピタルなど、豊富なビジネスキャリアを持っています。
こうした二人が実践、教育、研究などの成果として本書を著しました。ビジネス実務で得た知見を教訓的に語る日本の書とは違い、それを研究し理論として役立つようにするのはプラグマティズムの伝統で、米国のビジネス書が世界的なベストセラーを数多く輩出し続けている強みとなっていることがよくわかる典型的な書です。
本書の特長は、変化を起こせない問題に対し人間的要素と向き合い、数々のケーススタディからその課題と解決方法を提示しています。二人が提唱しているこの新しい考え方は、「抵抗理論(Friction Theory)」と呼ばれ、学会とビジネス業界の双方から認められつつあるということです。
本書の概要
本書の第1章と第2章で、新しいアイデア(プラン)で変化を起こそうとするとき、どうしても思い込みが先立ってしまい、それがいかに間違っているあるいは勘違いしたアプローチに陥りやすいかを解説します。
革新的であることを主張したり強調すればするほど、それと比例して抵抗する力も増してしまうことに気づかないことを指摘しています。
第3から第10章までは、著者たちの提唱する4つの「抵抗理論」について各々解説し、それに続く次章では克服する方法の説明、つまり1つの抵抗→1つの克服方法という章構成で約300ページです。
4つの抵抗理論の説明とその克服方法はそれぞれ独立しているので、必ずしも最初からすべてを読む必要はなく、読者の立場や状況に応じて必要か思い当たる章だけを読むことができるようになっています。
「抵抗理論」とは何か
著者たちは、この「抵抗理論」について、次ぎのように述べています。“「抵抗」とは、変化に対する心理的な力だ。「抵抗」は、イノベーションの妨げになる。そして考慮されることはめったにないが、変化を起こすには、この「抵抗」を克服することが不可欠だ。”
どのような動きにも、抗力(重力、空気抵抗、作用/反作用など)が働きます。物体に力を加えれば、その力と同じだけ逆方向の力が働くことは、物理の基本法則としてだれでも知っています。
往々にして変化を起こすようなイノベーティブな人たちは、ある思い込み原理があるといいます。つまり、新しく素晴らしいアイデアを受け入れてもらうため、いかにそのアイデアが魅力的で画期的なことかを最大限に伝えことが重要なのだという思い込みです。
革新的で付加価値が高いほど、賛同や共感を得られるはずだと疑うことなく、なかば本能的に思っているのだと。したがって、どうしてもその画期的であるはずの変化の逆方向に働く「抵抗」についてまでは気が回らず、自分たちのプランの価値を高めて説得力を増すことだけに意識が偏ってしまうのだと述べます。
人は習慣の生き物で、動物とは異なり変化する能力がありながらも、それ自体は容易なことではありません。ダイバーシティが重要だとみなが理解していても、それを受容することは簡単ではありません。マインドセットを変える必要があると理解はしていても、それを行動に現すのは思っているより難しいことに思い当たる人も多いでしょう。
「抵抗理論」は発見するもの
抵抗は、まず発見されなければなりません。しかし、それは目に見えないので容易ではないと著書たちは語ります。その人を押しとどめているもの=抵抗が、実際には何であるのかあるいはどのようなものなのかを本人もうまく伝えられないからです。またかりにわかったとしても、それが本当でない可能性もあるからです。アンケート調査で質問に答えたとしても、それが本心とは限らないとはよくいわれていることです。したがって「抵抗」を発見するためには、ある人がなぜそのような考え方や発言、態度や行動をするのか、その要因(深層)を知ることから始めなければならないため、時間、忍耐や努力が要求されるのです。
第1章と第2章で述べられているフルカスタマイズ家具のスタートアップ、NPOによる子どもたちへの応援カードの事例から引き出された抵抗の深層を読むと、「なるほど、そうか」と思うことでしょう。
著者たちは、抵抗を理解するためには心理学や文化人類学的なアプローチが必要だと述べています。
従来のイノベーションに関する著書は、概してアイデアそのもの(成否、利点、特長など)に注目していますが、本書はもう1つの側面、つまり手を貸してほしい人たちから受けがちな「抵抗」について知るための書です。
4つの「抵抗理論」について
今日はVUCAの時代、液状化社会(社会学者ジーグムンド・バウマン)といわれています。それはもはや例外状態あるいは一時的なものではなく、私たちは否応なく常態化した今を生きています。それは今後も変わることはなく、むしろ加速し多様化し複雑化していくことは不可避です。
人は、不確実、新奇、変化より安定や馴染みのあるものを好むことは知られています。疎遠であるより親近感あるもの、未知より既知を、異質なことより同質性であることを選びます。
第3章以降で紹介される「抵抗理論」には、下記の4つのタイプがあります。
(1)惰性
最初の取りあげられているのは惰性です。これは人の本質であり、私たちほとんどを規定する心性の行動原理の基本です。
これは、人間だけではなく他の動物でも実験によってわかっています。動物は初めて見るものには怖がって近づこうとはしませんが、何度か見ているうちに徐々に慣れてくるそうです。
著者たちは、次のように述べています。“改善につながる可能性のある選択肢があったとしても、それが不確実である場合、私たちは慣れ親しんでいるほうを「惰性」で選択する。”
つまり、人はその習性や社会的慣習に倣う生き物ということです。
これは消費行動においても同様で、無意識的に馴染みある商品(ブランド)を習慣的に購入または愛用しています。これまでと同じものであってもパッケージ、商品名を変えられただけで違和感を感じます。ですから、新商品を試す場合にも、その効能を十分に理解しなければ購入をためらいます。
もし、納得できなかったときは、やはりいつもの商品を購入すればよかったと後悔するようなことを避ける気持ちが働きます。
こうした心のメカニズムは、脳科学や認知心理学、消費者心理学などからもわかっていて、「習慣脳」(無意識)へ訴求効果を高め、それをマーケティングにおいて活用することを述べた著書として知られているのが『「習慣で買う」の作り方』(原著2008年刊、邦訳2011年刊)です。
それほどまでに習慣(本書では惰性)は、私たちの考え方から行動原理を支配しているのですが、それについてほとんど無自覚なのです。
この「惰性」を克服する方法について著者たちは幾つか提案をしていますが、何度も繰り返して接することで徐々に親しみを感じさせるようにすることを最初に提唱しています。
(2)労力
これは、変化を受け入れるために要求される努力とかかるコストのことです。
人はなにをするにしても、求められる労力やそれにかかるコスト(時間と費用など)負担が大きいほど「抵抗」もそれに比例して大きくなります。
つまり、最小限の努力で最大限の成果を手に入れようとするものだということです。著者たちは、それを「最小努力の法則」と呼んでいます。
コストパフォーマンスという言葉はその典型例で、最少の出費(投資)で最大のリターン(見返り)を得たいと誰もが願います。労力で見過ごされがちなのが「茫漠感」だと著者たちは語っています。
これは、自分たちが取り組むあるいは実行するさいの道すじがわからず、何度も失敗や試行錯誤をしながら袋小路に陥ってしまうことに対する「抵抗」なのです。
これを克服するには、そこへ至るための道すじ=ロードマップを作成し、だれでもが理解できるように提示することが必要だというのが著者たちの主張です。
(3)感情
この「感情的な抵抗」は、実にさまざまな要因が絡んでいます。新製品(テクノロジー)を受け入れるときの不安、いくつもの社会不安が引き起こす心理的要因、人間関係がもたらす不信感などです。
新しいアイデアを出すときは肯定的な感情を引き起こしたいと願いますが、「感情的な抵抗」を解消しないかぎり先へは進めません。
しかし、それに気づくのは難しいことです。なぜなら、人はネガティブな感情を隠そうとする傾向が強いからです。それには、そうした「感情的な抵抗」が発生するその瞬間を現場で見つけ出し、それが存在する理由を明確にして、それへの対処(除去など)することが必要だと説明しています。
(4)心理的反発
これは、上記の「感情」との違いがわかりにくいと思う人がいるでしょう。簡単に説明しましょう。上記が新しいアイデアや提案・実行などに対するもので、この「心理的反発」はその人の自立性や自由、選択権が脅かされることから、その提案者に向けられる心理的な「抵抗」のことです。
これが発生する3つの要因を著者たちはあげています。
1つは、新しいアイデアが信条やアイデンティティに関わるような場合。2つめは、変化を迫られるまたは強制されると感じる場合。3つめは、オーディエンス(受け手)にとってアイデア(イノベーション)がすべてその発案者だけのものであり、オーディエンス側がそれについてのけ者扱い(除外)されていたと感じるような場合。
上記3つの要因では、オーディエンスはそのメリットや必要性を理解したとしても、相手に説得させられようとしているまたは理解することを強要されていると思われてしまうと、防衛本能的に心理的な反発が起こると述べています。
この厄介な感情を克服するために3つの方法を提示しています。
1つは、説得するのではなく、相手が自分で納得したと思ってもらうよう根気よく手助けする。2つめは、「イエス」を引き出す質問することです。イノベーターはこれまでとの違いや変化をどうしても強調しがちですが、納得することや合意点、一致点(共感や賛同)から会話や質問を始めることです。
3つめは、コ・デザインです、これは、新しいアイデアのデザインプロセスに全員ではなくとも積極的に関与をさせることです。そうすることで、そのアイデアを受け入れたいと思ってもらえると述べています。
心理作用を利用する
本書で紹介される「抵抗理論」は、いずれも人間の生来的な心性に基づいているもので、多くの人たちには無自覚(無意識)なものです。そのメンタリティについて理解し、それを否定したり無理に変えようとするのではなく、その自覚されることのない心理的抵抗にどのように対処するのかを教えてくれます。
それは、そうした人間の本質的な心理作用を理解し、その心理を和らげる方向へ巧みに誘導することです。
本書を発売している草思社は、最近では草思社文庫の『21世紀の啓蒙 上: 理性、科学、ヒューマニズム、進歩(上/下)』(スティーブン・ピンカー著)、『銃・病原菌・鉄:1万3000年にわたる人類史の謎(上/下)』(ジャレド・ダイアモンド著)などで知られ、どちらかというと一般向けの人文や社会科学系の出版社で、ビジネス書というイメージはありません。
ですから、街の書店はもとより大型書店のビジネス書コーナーでも見かけた人は多くはなく、知っている人や読んでいる人も少ないかもしれません。
本書は、企業ビジネスパーソンの若手やベテランを選ばず、さまざまな組織内で新しい提案(新規事業、イノベーション、DX推進など)の担当者する方々、また各種コンサルティン業にもきっと参考になることでしょう。
この記事では本書の詳細を述べることはできませんでしたが、ご興味のある方はぜひ手にとっていただければ幸いです。
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