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【書評】プロフェッショナル広報の仕事術

4月の新年度から、新人としてマーケティングコミュニケーション業務に携わる方もいるのではないでしょうか。とくに広報部門に配属された人、またそうした企業内部門だけではなく、広報の専門企業やコンサルティング企業に務める方は、ぜひ本書を読むことをお奨めします。

さらにはそうした新人だけにかぎらず、中堅からベテランの社員にいたるまで、経営に直接かかわる役員、さらにはマネジメント層、その他の部門の人たちが広報について理解を促すためにも一読を奨めたい本です。

要するに、ビジネスパーソンにとって得ることが多い1冊なのです。

【書評】プロフェッショナル広報の仕事術

本書は、様々な業種の企業で、現役の広報人として35年にわたる実務にもとづいた知見のつまった書です。それは、広報論であると同時にすぐれたマネジメント論ともなっています。

しかも、昭和から令和にいたる数十年の激変する広報業界の変遷史も知ることができる書ともなっています。

インターネットの登場さらには多種多様なソーシャルメディアの台頭で、マーケティングコミュニケーション領域でも変化がありました。とくに大きな変化は何かを問われたとき、関連部門のひとは広報業務あるいは広報活動と答える人が多いのではないでしょうか。

それは、この本の著者も同様です。著者が35年にわたり広報業務にたずさわってきたなかで、業務領域の拡張、機能の分化、メディアの多様化などの大きな変化、消費者のライフスタイルの変化などの荒波に飲み込まれてきました。

本書では、そうしためまぐるしく変化し転換してきた広報について、3つの時代(昭和、平成、令和)の広報の移り変わりを検証することからはじめています。

広報の「ドーナツ現象化」とは

取材を受ける男性

著者は、広報の仕事は広告とは異なり、時代、企業、たずさわっている業務内容(部門)や人によって理解の仕方は微妙に違いが生じていると指摘しています。

1979年エズラ・ボーゲル著『ジャパン アズ ナンバーワン: アメリカへの教訓』がベストセラーとなり、その後もはや欧米から学ぶことはないとまで言い切る人もいるほどで、その後はバブル経済へと邁進しました。

とくに私が広告代理店の請負マーケターをしていた1980年代は、企業文化や企業イメージを謳歌していた時期で、CI(コーポレート・アイデンティティ)、メセナフィランソロピーなどによるコーポレートコミュニケーションが注目されました。

その実態はともかく、そうしたキーワードがメディアや人びとの間で浮遊していたのです。

それが崩壊した1990年代、今度はにわかにIR(インベスター・リレーションス)が注目を集めます。

2000年代になりインターネットの普及が加速し、それまでの広報はどちらかというとメディア関係者とステークホルダー向けだったものが、ソーシャルメディアの登場も加わったことで一変しました。

そうした急激な変化のなかで、広報活動で伝える内容によっては外縁部へと分化(分岐)と拡散をくり返し、その中核となるべき真ん中が疎かになってしまったのではないかと問いかけており、そうした状況を著者は「ドーナツ現象」と呼んでいます。

同じ「広」の字が招く誤解

十字架と英単語

広報を、いまだにお金をかけない広告とか、広告換算と考えている人は依然として少なくないと著者は指摘しています。

それは、広報も広告もともに同じ「広」の字を当てていることがその理由なのではないかと、私自身は判断しています。

英語では、広告はAdvertisingまたはadvertisement、広報はPublic Relationsでまったく違う言葉です。

それは一般論として知ってはいても、実際の現場では誤解や勘違いをしているケースが多く見受けられます。

たとえば、日本のネットでは「PR企画」という表示のあるバナーをよく目にします。しかしこれは純然たる広告で、欧米ではダイレクトに“Paid”という文字が添えられています。

また、「自己PR」という言葉も誤解に拍車をかけています。私は「「自己PR」という言葉、もうヤメませんか」というブログのなかで、正しくは「自己アピール」というべきだと述べました。

欧米では言葉自体がまったく異なっているのですが、日本では「広報」と「広告」という似通った言葉なので混同してしまい、広報をコストのかからない広告あるいは販売促進という考え方から脱却できない一因といまでもなっているのではないかと感じます。

著書はそうした発想(メディアがタダで記事にして広告してくれる)にもとづく考え方は、広報についての無理解や勝手な拡大解釈であり、「昭和の残滓」と切り捨てて次のように述べています。

“表層的に「広報」と謳っていながら、実際には広告宣伝や販売促進の効果を求めたいなら、「広報」を標榜する必要はない。そうした発想の経営者のもとでは、まっとうな広報担当者は育たない。”

もとより、業界的な構造という日本独特の根深い慣習も大きな問題となっていますし、それまでの広報といえば、直接消費者とコミュニケーションすることは稀で、社内や株主、取引などいわゆるステークホルダー向けの業務が主でした。

それがインターネット、それもブログやソーシャルメディアさらにはオウンドメディアまでもが登場したことにより、広報部門が消費者や社会とも直接向き合ってコミュニケーションをとる必要性が急速に高まってきたことは大きな変化です。

広報人としての経験知の結晶

女性とパソコン

著者が現場で積み上げてきた経験に思索を重ね合わせ、その知見を「経営広報」という視点に昇華させたのが本書です。

広報は、企業とくに経営者と向き合い、そしてステークホルダー(株主、投資家、取引先、協力業者、従業員とその家族、地域コミュニティそして顧客)の言葉を傾聴し、説明責任を果たして双方向コミュニケーションを経営に活かすこと。それがイコール経営広報なのです。

つまり、社会のさまざまな人たちと向き合う態度や姿勢あるいは心構えなのだと教えます。

メセナ、フィランソロピー、CSR、SDG’sなどで共感をつくるまたは得る、それは「広報活動」ではなく「事業活動」そのものであり、良くも悪くもそれらの情報が外部へ伝わる。それが、結果として広報的な側面や効果として現れるという認識を持つべきなのだと語ります。

したがって、メディアに取り上げてもらうことがゴールではなく、事業(製品やサービス)そのものの意義と価値を伝えることが本来の目的なのだと。

広報は、経営者または企業経営と一体不可分という著者ですが、一方で「広報はかくあるべき」という考え方を戒めています。

「べき論」が自己のなかで先行してしまうと、広報が経営者と伴走するまたは寄り添うことができなくなり、先走ることでむしろ孤立を深めてしまう結果になるのだと。

なぜならば、経営は十社十色であり、伴走も寄り添うこともなければ、広報としては失格となってしまいます。

「経営広報」という視点による要諦

書類を見る男女

私はこれまでのブログでも、広報の業容が拡張し続けていることを述べてきました。

それはインターネット、ソーシャルメディアなどのテクノロジーの進展、CSRからSDG’sへと社会経済環境が変化し人びとの価値観と行動様式が大きく転換したことなどが背景にはあります。

今日、マーケティングコミュニケーションから購買行動にいたるまで、すべてが大きく変わったことに異論を唱える人はいないはずです。

それでも読者のなかには、本書で語られているような内容に「広報はそこまでに担わなければならないのか」あるいは「広報がそこまでする必要性があるのか」という感想をもつ人がいることも理解できます。実際、自分の業務はそこまで求められていないと。

だれでもが著者のように考え、判断し行動できるわけではないことも私は承知しています。しかし尻込みせず、著者のように挑戦するチャンスを活かすべきであろうと。もちろん、すべてをひとりでできることには限界がありますので、外部の広報専門の知見を借りることも必要でしょう。

あのセルジオ・ジーマンですら、広報はその専門家に任せるべきだと提言したほどです。

しかも、著者のキャリアは7回の転職、4度上場の広報現場に立ち会っており、そのほとんどは創業経営者との仕事でした。それらの経営者は誰ひとりとして、広報を「お金をかけない広告」だとか「たんなる企業アピール」と考えていなかったと明言しています。

したがって、それを著者の広報キャリアの特殊性ゆえだから、の一言でかたづけることもできるかもしれません。

誤解のないように申し上げますが、本書は広報についての高尚な理念を語っているわけでもなく、著者の自慢話を綴っているのでもありません。試行錯誤と悪戦苦闘してきたこと、いくつもの失敗談、著者の理解不足や恥ずかしいほどの若気の至りだったエピソードなども赤裸々に語っています。

ここでその詳細を私が述べる余裕はないのですが、とにかく著者の語る「経営広報」の神髄だけを知りたいという人は、第3章と第4章を読むだけでも十分に得ることや学びがあります。とくに後者では、著者の長年の経験と探求から得られた『経営広報」の要諦ーーそれは7つのPhase(手順)と35の最善策(最適解)として著者が体系化したものーーについて教えてくれます。

そして“広報は企業活動のすべてを言語化できるプロ”であり、“企業の意義と価値を伝えるスペシャリスト”とも呼んでいます。つまり、広報パーソンはプロのライターたるべきなのです。

広報パーソンとしての使命

微笑む女性

私もこの著者と同じく、マーケティングコミュニケーションにたずさわって35年ちかくになりますが、今日ほど企業においてそれがもっとも重要な業務だと認識されている時代はありません。なかでも、広報はその役割や機能がもっとも強く求められています。

今日では、スタートアップや小さなベンチャー企業においても、すでに広報担当者を設けているほどです。

これほど重要な広報ではあるのですが、ほかの部門とはちがい広報はなくてもそれでも会社はまわると著者は語ります。

大型書店に出向けば、広報に関する本がかつてでは信じられないほど並んでいます。

それらのなかには、どうしたらメディアの取材を受けられるか、どうすればソーシャルメディアで拡散できるか、どういうコンテンツであればより多くの人たちに共有されるのか。そうしたテクニックやハウツーを解説している本も、おそらく数多く目にしていることでしょう。

日々の業務に追われている現場の広報パーソンであれな、藁にもすがりたい思いでそうした書を手にしたくなる気持ちは十二分に理解できます。

そのなかでも、本書は、それらとは一線を画しています。

広報とは、そもそもなにか。その担うべき仕事と責務、心構えと矜恃などを読者に語りかけます。それは、著者の手になる広報哲学書ともいうべき内容です。

もとより、この本は広報にたずさわる人たちに向けて書かれています。それも、企業規模(大企業からスタートアップまで)にかかわらず。また、コンサルタントを含めたすべてのマーケティングコミュニケーション関連部門の人たち、それもベテランから新入社員、広報業界を目指している就職活動中の学生、さらには法務部の人が読んでも気づきやヒント、示唆あるいは啓発される1冊となるでしょう。

なかでも、上場を目指すあるいは控えている広報担当者には、本書は大いに役立ちます。

そしてむしろ、経営者や役員から上級マネジメント層にいたるまでが本書を手にすることで、広報についての理解を深めると同時に、これまでの考え方を改めることに役立つに違いないというのが、私の読後の率直な感想です。

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梅下 武彦
コミュニケーションアーキテクト(Marketing Special Agent)兼ブロガー。マーケティングコミュニケーション領域のアドバイザーとして活動をする一方、主にスタートアップ支援を行いつつSocialmediactivisとして活動中。広告代理店の“傭兵マーケッター”として、さまざまなマーケティングコミュニケーション業務を手がける。21世紀、検索エンジン、電子書籍、3D仮想世界など、ベンチャーやスタートアップのマーケティング責任者を歴任。特に、BtoCビジネスの企画業務全般(事業開発、マーケティング、広告・宣伝、広報、プロモーション等)に携わる。この間、02年ブログ、004年のSNS、05年のWeb2.0、06年の3D仮想空間など、ネットビジネス大きな変化の中で、常にさまざまなベンチャー企業のマーケティングコミュニケーションに携わってきた。